前から気になっていた本だが、読むと本当に面白い。作家林芙美子の戦時中の従軍作家としての南方行きのことである。
『放浪記』のヒットで流行作家となった林芙美子は、雑誌や新聞社の求めに応じ、日中戦争に従軍し、「漢口一番乗り」などの「手柄」をたてる。
そして、太平洋戦争が始まり、陸海軍報道部は、林ら、窪川稲子(佐多稲子)、水木洋子、美川きよ、小山いと子、吉屋信子らの女性作家も派遣され、芙美子はジャワに行かされる。
一応は、新聞社、通信社の派遣の形で、陸海軍の嘱託にして。費用は新聞社が持ち、現地での移動も、新聞社が保有していた飛行機で動いたりする。当時朝日は100機もの飛行機を持っていて、勿論原稿の即時移送のためだが、時には軍に協力のためでもあった。
ジャワ各地をめぐり、現地の状況を報告するのだが、芙美子は、そこで恋人と再会する。彼女には、勿論夫で画家の緑敏がいたが、毎日新聞の記者で7歳も年下の男を恋人にしていたのだ。
もちろん、細部や男女のドラマは、桐野の創作だが、芙美子に恋人がいたのは事実のようだ。
そして、この南方での恋愛は、彼女の『浮雲』の主人公のゆき子が、ベトナムで農林省の技師富岡と会って恋に落ち、どうにもならない関係に落ちて行くのは、この自分のことがあったようだ。
そして、この小説は、成瀬巳喜男監督、高峰秀子、森雅之によって名作『浮雲』になるが、そのシナリオは、水木洋子によって書かれた。
水木は、戦時中は放送作家、つまりNHKラジオの脚本を書いていたようだ。
林芙美子らが、従軍作家として戦場に行ったのは、勿論軍から要請されて従わざるを得なかった時代がある。
だが、それ以上に新聞、雑誌等も減り、発表の場所が少なくなったので、従軍記事で稼ぐ以外に手段がなかったことも大きかった。
その点、永井荷風は、こうしたことに一切関わらなかったが、それは彼が大変な資産家で、ものを書かなくても生活に困らなかったことがある。
その代わり、戦後は荷風の資産の大きなものだった株が、戦後の大きく下落して資産価値を失ったこともあり、戦後永井荷風は精力的に書くことになる。
人生と言うものは実に皮肉である。