『山椒太夫』は、もともとは中世の語り物芸・説教節の中の一つで、『小栗判官』『俊徳丸』『刈萱』『信太妻』などと並ぶ5大説教の一つで、森鷗外の小説で有名になった。
同じ説教節と言っても、中世のものと、近代のものとはかなり違うようだが、演目は同じである。
溝口健二の映画も、東映のアニメも鷗外の原作を元にしていて、そこには元の説教節が持っていた残酷描写や非合理的な筋が合理的に説明されている。
実は、私は溝口健二の映画『山椒太夫』がとても好きで、特に早坂文雄の音楽も素晴らしいと思う。
ただ、タイトルに、これは「人がまだ日として目覚めていない時代の話である」と、丹後の国の国司になった厨子王が、奴隷を解放する處は笑える。
解放された奴隷たちが、飲めや歌えの酒池肉林をすることろなどは、非常におかしくていつも笑ってしまう。
溝口は、映画『赤線地帯』をみてもわかるが、この世はいずれみな社会主義になり、そうならないと弱いもの、女性は幸福になれないと、死ぬまで信じていたそうだから。
一番好きなのは、安寿を逃がそうとして、橘公子の波路が自分を木に縛らせて香川京子を逃がすところである。
京楽座は、主に役者・中西和久の一人芝居の一座で、ふじたあさやの作・演出で、『しのだつま考』もあり、高い評価を受けて来たが、私は見るのが初めて。
中西は、説教の方に従って一人で語り、演じ、さらには鷗外と説教節の違いなども説明する。そこは極めて異化効果的であり、面白い。
最後は、佐渡島での厨子王と母の再会を自ら三味線を弾きながらで語る。
ところどころでは感動的なシーンもあったが、全体としてみれば、私はあまり感動できなかったのである。
その理由は、中西和久は、芸能座から芸歴を始められたとのことだが、その演技は、かなり新劇的で、どこか枠にはまった感じがしたからだ。
これは、演出のふじたあさやの注文なのだろうか。
もっと、中世に民衆に向かって泣き落として語った遊芸人のように、演じた方が良かったのではないかとないものねだりをしたくなった。
川崎アートセンター・アルテリオ小劇場