1月からカルチャーセンターでポルトガル語を習っているが、そのヘンドリッキ先生は、4月から幕張にある神田外語大の先生になられた。
そのポルトガル語の教室のことをお聞きすると、学内にはロビーに各語学の国の展示があるとのこと。
ポルトガル語では、ブラジルのミナス・ジェライスの展示があり、インドネシア語では、インドネシアの地方の家があるという具合で、担任教員はクラスの授業以外の時間は、そこで生徒に対応するようになっているそうだ。
大学も少子化で、生徒集めに大変なんだなと思う。今や東京六大学の全部の大学に映画科などのエンターテイメントの学部があるはずで、そのように面白さを出さないと若者は来てくれないのだろう。
だが、大学のレジャー施設化は、今に始まったことではないと思う。
1966年に私が早稲田大学に入った時、最初に思ったのは、「ここは新宿の雑踏じゃないか」と言うことだった。
だが、それは非常に良いことだったと思う。
日本でのブルトンの『シュールレアリズム宣言』の翻訳者にして、当時は日本共産党の支持者で、見た目は完全なひよっと子顔だった稲田三吉先生は言った。
「大学は、勉強の仕方を教えるところであり、先生から物事を教わる場所ではないのだ」と。
さすが、シュールレアリストであり、言うことが違った。
その時、私は早稲田に入って良かったと思い、授業よりも劇団の活動に精出すことになっったのである。