昨日は、3月20日で、1995年のオウムの地下鉄サリン事件から20年で、オウム被害者の会の代表だった永岡さん親子のことがドキュメンタリードラマとして放送された。
主人公の永岡さんを演じるのは永島敏行で、好演だった。
これを見て、すぐに思ったのは、1960年代に中国全土を襲ったプロレタリア文化大革命であつた。
今日では、文革は、1950年代末の「総躍進運動」の失敗で、権力の座を追われた毛沢東の、実権派劉少奇、小平らに対する戦闘だったことが明らかになっている。
だが、なぜ実権派の実力者の劉少奇、小平らが、実権をはく奪され、権力から追われたかについては、あまり解明されていないように思う。
それは簡単なことで、劉やらが、社会主義を標榜する中国で、それなりの繁栄を生み出すことについての理論化を怠っていたからだと思う。
多分、彼らは理論化ということをバカにしていて、そんなことよりも今、飯をたらふく食えれば人民は自分たちに付いてくると思っていたのだろう。
だが、民衆と言うものは、時として食い物の問題よりも、理論と言うか、ある種の理屈に熱狂されてしまうことがあるのだ。
それが文化大革命運動で、カンボジアのポルポトらのやった虐殺も同様なものだったと思う。
そのどちらにも、アジア的な原始共同体性への憧憬があるのが不気味である。
さて、なぜ資本主義は、繁栄した時、その繁栄を自らの成果として理論化できないのだろうか、これは相当に難しい問題だと思う。
だから、大抵は富を、社会的な奉仕や還元、寄付と言ったことにしてしまう。
欧米、特にアメリカでは富豪は寄付をすることが当然というよりも、むしろ寄付ができることが富豪の条件のように思われている。
その裏にあるのは、持てる富をどのように正当化するかだと思う。
そう考えると、日本もかつてのバブル期の富をなぜ、もっと公共的なインフラとして次の時代に残せなかったのかと思うのである。
インフラとしては、民活事業の東京湾横断道路、関西新空港、羽田空港の沖合移転、そして幕張メッセとパシフィコ横浜ぐらいだろう。
文化、芸術的には、映画では市川崑が「東宝でも二度とこんなに贅沢な映画はもう作れないだろ」と言った『細雪』くらいだろうか。
イベントしては、日本で最初のワールド・ミュージックのフェスティバルだった「ウォーマッド横浜」だろうか、これは自画自賛になるので、心苦しいのだが。