先週のスキヤキ・ミィーツ・ザ・ワールドでは、イベントを堪能したが、その概ね昼間は、城端線、氷見線、さらに万葉線に乗って楽しんだ。
土曜日の午前中、することもないので、福野から城端線に乗って城端までに行く。
観光案内所で聞くと、城端の町は10分以上も歩いたところにあり、浄土真宗大谷派の別院があるとのことだったが、この暑さの中、歩いていくのはきつい。
バスは、1時間後だというので、明日にまた来ることにして、高岡駅に向かう。
高岡の町に出ようと思ったが、駅の端にもう1本のローカル線があることに気づく。
氷見まで行く氷見線である。
たった1両のローカル線で、なんと「忍者ハットリ君」電車で、各駅、沿線をハットリ君が説明してくれるが、藤子不二雄A先生が、この地の生まれなのだそうだ。
この氷見線は、伏木港に向かった後、氷見港への日本海の海岸をのんびりと進む。
伏木港の臨港地区には、かつては使用されていた側線が多くあり、この路線は、工場からの貨物の運送を担っていたことがわかる。
今は、トラック輸送に代わったのだろう、ほとんどが夏草が繁茂する廃線になっている。
海岸沿いを、ローカル列車にのんびりと揺られて乗っていると、いかにも定年退職したおじさんが、することもなく暇をつぶしている実感が湧いてくる。
港湾の駅のホームには、ロシア語らしい文字もあり、この辺にはロシアの船も来るのだろう。
氷見駅に近くなると、砂地の畑が続き、鳥取の境港もこうした感じだったが、そこにも水木しげるの「水木しげるロード」があったが、ここも藤子不二雄である。
氷見駅近くで、世にもまずい、この世の中にこれほど美味くない天丼があるだろうか、という630円の天丼を食べた後、バスで番屋街に行く。
番屋街は、埋立地の上に団体客等のために作った飲食と土産物店で、私には全く関係がない。
だが、バスの中から見た河口近くの橋の感じが、篠田正浩監督の名作『はなれ瞽女おりん』で、原田芳雄が第八車を引いている辺りではないかと思い、暑さの中を橋の方に向かう。
そこに行く途中、倉庫を再利用した喫茶店があるので入る。
ヒンミグという店で、元は味噌の保存用の倉庫だったそうで、河川を利用して大豆等の原料を持ってきて味噌を作り、また船で製品を出していたのだろう。
今は、講演や展示等のイベントにも使っているようだ。
川の周辺には、淫祠があるので、写真に取っておく。
永井荷風大先生も愛好したのが、この淫祠で、全体に福野、城端、氷見等のこの地域には多いように思えた。
ホテルの敷地にもあり、それは1944年に死んだ水兵のものだった。
氷見線で高岡に戻り、福野駅に着くともう夕方で、スキヤキ・パレードは始まっていた。
福野駅から、植物園のフローラルセンターまでのすごいパレードなのだ。
そこには、スキヤキの連中から、サムルノリ、子供会、女子中学のブラスバンドまで、普通のお祭りの乗りなのだ。
実は、20年前に横浜で、ウォーマッド横浜をやった時、是非やろうとしてできなかったのが、このパレードだった。
今、考えれば、みなとみらいの企業などにも声を掛けて、パレードの参加チームを作ってもらい、桜木町駅から会場までのパレードをすれば良かったと思った。
6時過ぎからは、野外ステージで、コンサートが行われて、有料だが、どうやらパレード参加者には優待券を配布しているようで、普通の人が、幼児に至るまで観客でいるのである。
こうしたように、普通の人にまで、イベントを拡大できず、「進んだお兄ちゃん、お姉ちゃん」のイベントだったことが、我々の失敗だったなあ、と反省した。
コンサートでは、エチオピア人歌手のユーカンダンスが最高で、その歌の節回しは、まるで日本の浪花節だった。
エチオピアと日本の浪花節とどういう関係があるのか、不明だが、多分インドの歌謡あたりが素ではないかと思う。