今、日本に来ている英国のウィリアム王子が、保土ヶ谷の英連邦墓地を訪れて墓参したそうだ。
保土ヶ谷区と南区の境界の場所にあり、平和台の近くである。
私は、どういう理由だったか忘れたが、横浜市を代表して墓地に墓参したことがある。
多分、担当課長だったU氏が何か理由があって行けず、代わりに日曜日に行った記憶がある。
場所は、市営バスで行くと79系統の、関内から井土ヶ谷、永田台等を経由する平和台行の、児童公園前から歩いてすぐのところにある。
イギリスは、海外で亡くなった兵士などは、その現地に葬るそうで、世界中にこうした墓地があるようだ。
まさに世界を制覇した大英帝国らしいと言えばその通りだが。
この平和台というのは、実は戦争中は日本軍の高射砲陣地だったところで、戦後に平和台と名付けられたもの。
東京大井の平和島も、戦時中は捕虜収容所があったことである。
今は、その島の前面水域でボートレースが行われているが、ともかく平和で結構なことである。
各地に平和なんとかと名付けられた地名があるが、それのほとんどは戦時中は戦争に関係した場所であり、戦後に国民が平和を希求した想いがよく分かる。
保土ヶ谷区と南区の境界の場所にあり、平和台の近くである。
私は、どういう理由だったか忘れたが、横浜市を代表して墓地に墓参したことがある。
多分、担当課長だったU氏が何か理由があって行けず、代わりに日曜日に行った記憶がある。
場所は、市営バスで行くと79系統の、関内から井土ヶ谷、永田台等を経由する平和台行の、児童公園前から歩いてすぐのところにある。
イギリスは、海外で亡くなった兵士などは、その現地に葬るそうで、世界中にこうした墓地があるようだ。
まさに世界を制覇した大英帝国らしいと言えばその通りだが。
この平和台というのは、実は戦争中は日本軍の高射砲陣地だったところで、戦後に平和台と名付けられたもの。
東京大井の平和島も、戦時中は捕虜収容所があったことである。
今は、その島の前面水域でボートレースが行われているが、ともかく平和で結構なことである。
各地に平和なんとかと名付けられた地名があるが、それのほとんどは戦時中は戦争に関係した場所であり、戦後に国民が平和を希求した想いがよく分かる。