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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『曽根中生自伝・人は名のみの罪の深さよ』

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2年前に、約20年ぶりに公の場所に姿を現し、映画界からいなくなってからは、ヤクザになったとか、殺された等の噂を打ち消し、大分で養殖漁業をやっていたことを明らかにして、今年8月に急死した曽根の自伝である。


彼の映画は見ていて、それなりの面白かったが、当時の日活ロマンポルノでは、神代辰巳は別格として、西村昭五郎、小沼勝らの方が上だと思っていた。


ただ、1970年代に自分たちで芝居をやっていた時、日活作品に出た人がいて、曽根中生を非常に褒めていたので、「そうかな」と思ったことがある。
彼は、意外にも出来不出来のある監督で、西村昭五郎のようにどんな素材でも上手く料理するという監督ではなかったようだ。
その証拠に、一般映画として作り、大ヒットした『花の応援団』のような秀作もあったが、横山やすし主演の『唐獅子株式会社』のように非常につまらないものもあった。

日活に入って鈴木清順に会ったことが彼の人生を決めたようで、鈴木清順作品の脚本チームの具流八郎の一員となる。
入社8期の助監督連中が中心だったので、八郎としたそうだが、実際は彼の他、大和屋竺、田中陽造との3人だったようで、『殺しの烙印』も3人が分担して書いたそうだ。
60年代末はテレビにいた彼のところにもポルノの話が来るが、その時の岡本孝二とのことが興味深い。
岡本の名は、今村昌平や蔵原惟繕作品で見ていたので注目していたが、彼はある日曽根のところに来て、
「お前はやるのか」と聞かれたそうだ。もちろん、ポルノのことだった。
岡本はポルノは撮らず、『新・どぶ川学級』という組合映画を作り、「あれっ」と驚いた。
川崎の駅ビルの映画館で見たが、吉永小百合も出た作品だったが、組合映画以上のものではなかった。
そして、彼は妻の実家の大阪に去ったそうである。
ロマンポルノへの転換には、様々なドラマがあったことがわかる。
最後の大分で彼が取得したという磁石でものを燃焼させる方式についてはさっぱり理解できない。
一応、特許を取ったのだから嘘ではないのだろうが。

高田奈美江という女性が出た『夜をぶっ飛ばせ』は、是非見たくなった。
この映画で、彼は映画については燃焼してしまったように思える。

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