元高秀秀信市長時代に、助役となった方に、女性の音楽学者の斎藤龍さんがいた。
この人には、著書として『横浜・大正・洋楽ロマン』があり、読むと仰天したことがある。
当時は、私も市職員だったので、自重してなにも書かなかったが、どんでもない間違いがあるのだ。
それは、幕末のアメリカのペリーが横浜等に来航したとき、その楽団の楽器にギターがあったと書いてあることだった。
「幕末のアメリカにギターがあったはずはない」のだ。
ギターは、アラブのリュートが起源で、それが中世にスペインに渡り、ギターになったのだ。
だから、アメリカ大陸には、カリブ海地方から入ったので、アメリカの民衆音楽の楽器になったのは、19世紀末になってからなので、日本の幕末に来たペリー楽団にあったはずはないのだ。
それは、日本側の記録では「黒奴踊り」とされていて、今日的に言えば、ミンストレル・ショーである。
では、なぜ斎藤さんの間違えるような楽器があったのだろうか。
それは、バイオリンである。カントリーなどに知識のある方なら分かるだろうが、バイオリン、実はフィドルである。
バイオリンはクラシックでは、まずは肩と顎に挟んで演奏される。
だが、ポピュラー音楽では、横にして膝にのせリズム楽器として弾くこともあるのだ。
この程度のことも知らないで、「音楽学者」とは非常に驚いたものだ。
今は、斎藤龍さんも、私も普通の市民なので、ここに書く次第である。