池田大作氏が亡くなれたが、創価学会が始まったのは、東京の大田区である。
初代会長の牧口常三郎、二代目の戸田城聖も、大田区の教員で、当時の公教育の不備に不満を持っていた人たちだった。
戦前は、尋常小学校までが義務教育、つまり公教育で、それ以後は勝手、要は裕福でないと上には行けない仕組みだった。そのために左からの教育改革運動があり、大田区でも赤化教師事件等があった。
それに対し現実的方法を目指す連中もいて、それが創価教育学会だった。
私の父親は、大田区で戦前から小学校の教師をしていたが、その父によれば、「創価学会は、テスト屋だ」ったそうだ。
彼らは、模擬試験や塾の実施、さらに参考書の販売をやって大いに儲けていた。
また、戸田は事業家でもあり、宗教以外に金融業から建設などいろいろと事業もやっていた。
だが、そうした副業は、敗戦と戦後のインフレですべてダメになる。
そこに入会してきたのが、戸田の下にいた池田大作で、彼は副業をすべて辞め、宗教活動と新聞の発行のみにして会を成長させた。
同時に、若者への浸透にも努力したが、それは政治と文化運動だった。
一般に、新興宗教は、二世、三世へと継承されることが非常に困難だとされている。
そのとき、池田は、政治活動と文化運動に、会員とその子供たちを参加させることで、信仰の継承を行ってきた。
私は、パシフィコ横浜にいるとき、「青年文化祭」に遭遇したが、まことにすごいもので、全部自分たちでやってしまうのだ。
音楽等の出演者が全国から来た信者であるのは当然だが、舞台装置も、各地から若い大工が来て作ってしまう。彼らは、毎日泊まり込みで、夜は客席に寝て仕事をしていく。
こんなことは、他の党派には無理だが、こうした活動は、実は二世対策なのである。
池田大作氏の死後は、どのなるのだろうかと思う。