私が横浜市役所にいるときから、いろんな企画の会議に出て、多く議論の対象になるのが、この「横浜らしさ」なるくだらないものだった。
昨日、情報文化センターでのセミナーに出て、久しぶりに日本大通りに行った。
そこの旧商工奨励館は、戦前に横浜商工会議所のビルとして作られたものだった。
隣の三井倉庫の物産ビルも名建築で、さらに次の大蔵省の横浜財務事務所も由緒を感じる建物である。
反対側には、横浜地方裁判所もあり、ここは極めて日本の中でも第一の西欧的な雰囲気の通りになっていると思う。
事実、この物産ビル等をバックに、小津安二郎監督は、1933年に田中絹代がギャング岡譲二の情婦を演じるという、まさにアメリカ映画そのものの『非常線の女』を撮っている。
そこには、東京の溜池にあったジャズの殿堂・ダンスホールのフロリダの実景も出てきて、本当に西欧的な世界の映画なのだ。
だが、この横浜市中区日本大通りと周囲の建物は、関東大震災の復興事業として作られたもので、幕末・開港期の横浜ではない。
つまり、私は、横浜らしさは、この昭和初期の震災復興事業として作られた横浜だろうと思っている。