MHKの『関東大震災』を見る。
『キャメラを持った男たち』でも試みられた映像からの現場の再現が行われ、大変に興味深い都市・東京の姿が浮かびあがる。
それは、当時の東京は、当然にも江戸の延長線上だったことである。
明治維新からまだ、60年も経っていなかったのだ、文明開化が押し広げられても、そこはほとんど文明開化、つまり西洋化以前の江戸が色濃く残っていたのだ。
それを抹消し、西欧的な大都市に改造させる切っ掛けが、大震災と帝都復興事業だったのだ。
そのことがよく分かるのが、燃える警視庁の庁舎で、検証によってそこは有楽町であることが分かる。
映像の中心にあって燃えているのが警視庁だが、その周囲はまるで普通の民家、仕舞屋なのだ。
そうした江戸時代の町の中にポツンと西欧的な庁舎があったのだろうことが分かる。
要は、住居、事務所、工場、商店が混在していている、前近代的な、アジア的な街並みだったのだ。
今、こうした感じは、大都市では京都しかないと思う。
他は、戦災と都市整備で、街区がきちんと分けられているのだから。
街頭にいる人の姿も興味深く、9月1日と、夏だったので、男はハッピにステテコ、女性はほとんど着物で、いわゆるアッぱっぱスタイルの叔母さんも多く、現在でこのような姿を見れば、祭りの時の見物人だろうか。
こうした衣装、風俗も、この震災からすぐに昭和になり、完全に洋装になっていくのだと思う。
そして、帝都復興事業で、広場が作られ、街路が広げられ、大通りができた。
その結果、永井荷風が言うように、昔の小路は、ほとんど消滅したのだと。
1930年には、帝都復興祭が開かれ、花電車等も出て、永井荷風は、やや嬉しそうに「断腸亭日乗」に書いているのは、やはり荷風も江戸っ子だなあと思ったものだ。