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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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「日本の古代に畜生道はなかった」

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歌舞伎によく出てくる畜生道、愛し合った男女が、実は兄妹などで、愛し合えない禁忌に気づくのが畜生道で、江戸時代には、大変に避けられていたことだった。

私は、これは一種の「不条理劇」だと思ってきた。

つまり、絶対に愛し合えない、愛の不条理だと。

だが、日本の古代では、畜生道という考えななく、むしろ双生児で、しかも男女の双生児は、生の多産の象徴として喜ばれていたことを知った。

それは、朝日カルチャーセンターの元専修大学教授の荒木敏夫先生の『平安時代を考える』だった。

平安中期の、嵯峨天皇と橘嘉知子との間に、双生児の男女が生まれたそうで、それは正良親王と正子内親王だそうだ。

ただ、この正子内親王は、宮中では養育されず、女官の家で育てられた。

一応、別々に養育されたわけだ。

そして、この正子は、嵯峨天皇の父親桓武天皇と藤原旅子との間の子である、淳和天皇と結婚したのだそうだ。

つまり、桓武天皇は、母は違うが、自分の子の平城天皇、嵯峨天皇、そして淳和天皇と、3人の子に10年づつ天皇をさせたのだそうだ。

                      

桓武から見れば、息子と孫娘の婚姻となるわけだが、当時はこうした近親間の婚姻は、禁忌ではなかった。

そして、思うのは、畜生道というのは、仏教の考え方なので、仏教はすでに伝来していたが、平安時代中期では、まだそれが十分に広がっていなかったということなのだと思う。


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