舞台や映画の役者の演技で、有名な言い方は、「形か、心か」である。
日本の舞踊、歌舞伎などでは、演技は「形」で、演者の「こころ」はどうでも良い。
そのように見えればよく、その時に演者がどのような心的状態であるかは、問題にされない。
泣きの演技だが、外から見て「泣いている」ようにみえればよく、本当は本人は別の感情でも全く問題にされない。要は、踊りのようなもので、演技は次第に段取りになってしまうのだ。
映画で言えば、マキノ雅弘、伊藤大輔、井上梅次、俳優で言えば、鶴田浩二、京マチ子など、日本舞踊の経験のある人は、大体が段取り芝居で、それで完全に見えるのだからすごい。
対して、西欧の演劇の影響下で始まった新劇では、なによりも心持ちが重要で、心ができれば外面の動きや表情は、自然と内面を表現するものになる、と考える。
かの有名な、アメリカのアクターズ・スタジオの「エチュード・システム」も、モスクワ芸術座のスタニスラフスキー・システムの応用なので、心、内面を問題にしている。
ただ、これも絶対的なものではなく、NHKBSの『昭和演劇大全集』で、渡辺保先生が、初世水谷八重子と17代目中村勘三郎の『鶴八鶴次郎』の公演を見せて、二人の演技術を解説したことがあった。
二人の中では、どちらかと言えば、八重子の方が新劇的なのだが、ここでは勘三郎の方が、より内面的な演技をしていたというのだ。
これは、平凡社からの本に載っていると思い、大高との電話中にも本を見たが、そこには収録されていなヵった。ここには、歌舞伎と新派という、日本の代表的商業演劇のスターたちの演技術が解明されていて、非常に面白いのだが。
NHKのアーカイブは、埼玉にあるので、一度是非見に行ってみようと思っている。
と思ったら、なんとユーチューブに、高野山の場面があった。ユーチューブ、さまさまであるというしかない。