『ウォーマッド横浜・歴史から消えたビッグ・フェステイバル』を知人等に献本して言われるのは、
「指田さんが、こんなことやっているなんて知らなかったよ」である。
特に上司がそうで、私が役所での仕事の他に、密かに『ミュージック・マガジン』等で原稿を書いていたことは知られていなかったのだ。
これは、私の「塩沢化計画」で、映画『ある殺し屋』で、主演の市川雷蔵が、1作目では、小料理屋の主人、2作目では日本舞踊の師匠だが、実はすごい殺し屋、という二重性を目指した結果なのだ。
1作目では、雷蔵は塩沢で、2作目の『ある殺し屋の鍵』では、新田なのだ。
どちらも、監督は大贔屓の森一生で、撮影は宮川一夫、音楽も鏑木創と同じスタッフの仕事なのだ。
この秀作が、たった2本で終わったのは、大映京都に、市川雷蔵の現代劇をよく思わない幹部がいた性だとのことで、実に分かっていない馬鹿がいたものである。
だが、この2本の市井の普通の職の人間が、実はすごい殺し屋、というのは、テレビ朝日、松竹京都で延々と作られた「必殺シリーズ」の元なのである。
大衆文化というものは、そうして継承されるものなのである。