1968年、松竹の旅行シリーズの1作目、主人公は紀勢線の専務車掌のフランキー堺で、父親はSLの機関手の伴淳三郎。
そこに、新宮駅前で寿司の弁当屋をやっている、笠置静子と新珠三千代の母娘が対置される。
紀伊半島は、当時新婚旅行のメッカだったようで、さまざまなカップルが登場するが、メインは独身のこの4人がどうなるかである。
いろいろな取り違えもあるが、伴淳と笠置静子は無事夫婦になる。
フランキーに惚れているのが、観光船のガイドの倍賞千恵子で、この二人のどちらと一緒になるかが最後のドラマだが、たぶん彼は、依然として新珠をとるだろうことを示唆して終わる。
ドラマとしては、なにもないが、このフランキー堺と新珠三智代が松竹に出ているのが不思議である。
この二人は、もともとは東宝だったが、この時期は松竹にも出ていた。
西河克己の説では、「日本映画の現代劇の元は、松竹だ」そうで、確かに松竹から東宝にきた島津安二郎は、東宝の喜劇の基礎を作っている。また、俳優でも上原謙のように松竹から東宝に来た者もいる。
だが、この1960年代後半になると、逆にこの映画のように、東宝から松竹に行くものも出てきたのだ。
要は、逆輸入だともいえる。
この頃になると、いわゆる5社協定も緩くなっていたので、さまざまな組み合わせができていたのだと思う。