東京や京都には、日本人はほとんど知らないが、外国人観光客には非常に有名な施設がある。
前から聞いていたが、本当に行ったのは、1991年夏のパシフィコ横浜のオープニングイベントの一つとしてやった「国連ピースメッセンジャー都市会議」でのことだった。
これは、有名な南学(みなみ・まなぶ)先生を担当として横浜市国際室がやったものだった。
私は、その年の正月から3月まで、富士宮にあった国際貿易研修センターに英語研修で派遣されていたので、戻ってきてからは、ほとんどどうでも良い仕事をやらされた。
開会日当日は、国際室での電話番で、なかで驚いたのは、
「式典で演奏する新日本フィルの方にバイオリンを貸すのだが、会場はどこでしょうか」だった。
オーケストラの演奏者の中には、他人が所有する楽器で演奏する人もいるのだ、と。
会期が終わった日曜から、私は、国連からきた事務次長サフロンチャクにアテンドして京都を案内することだった。
朝、ホテルの部屋に迎えに行くと、彼はジャパン・タイムズを持って出てきた。
国連事務次長というと、次から次に国連から極秘情報が来ているようなイメージがあるが、彼が入手していた情報は、日本の英字新聞からのものなのだ。
京都案内は、英語のできるJTBのガイドに頼み、いろんなことろを回ったが、一番喜んだのは、「祇園コーナー」だった。
ここは、祇園にあり、1時間くらいで、お茶、生け花、着物ショーなどを次々と見せてくれるところで、外人には非常に有名なのだ。
同様の施設は、東京六本木にもあり、そこでは「腹切りショー」を見せるのだ。
京都では、都ホテルに泊まって、高級な鉄板焼きを食べさせて、これまたご機嫌だった。
そして、新幹線で帰る時、彼はこう言っていた。
「ソ連は、今混乱しているが、いずれ復活するに違いない」と。
当時は、ゴルバチョフからエリチンになった時で、共産党と軍の「逆クーデター」にも勝利した時だった。
非共産化への動きは、大いに盛り上がっていたが、その後の大混乱の中で、遂には元スパイのプーチン政権となり、現在のウクライナ侵攻になっているのは、実に信じがたいことだ。
要は、ある体制が、別のものになる時は、いかに大変で容易にはできないということだろう。
この間、元は学者のようだったサフロンチャク氏は、どうなっているのだろうかと思う次第だ。