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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『エルビス』

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エルビス・プレスリーの映画は、高校時代に『ラスベガス万歳』や『ブルーハワイ』見てほとんど関心しなかった。

                   

だが、1970年代になっての『エルビス・オン・ステージ』や『エルビス・オン・ツアー』は、かなり感動した。いずれも、横浜市中区長者町にあった元オデオン座の隣の横浜ピカデリーである。

横浜ピカデリーは、横浜の松竹洋画の最上位の映画館で、今は横浜シネマリンとなっている地下の劇場は、SYチェーンの館で格下だった。

エルビスは、ワーナー系で、今はワーナーは、MGM傘下になっているらしい。

MGMは、一度潰れて映画製作は辞めたはずだが、他の事業で盛り返して、MGMやユナイトも所有しているとのこと。この辺のアメリカの映画産業の推移は、私にはよく分らない。

プレスリーは、アメリカ中西部の白人最下層の家に生まれ、黒人居住地区内で育った。

そのために、黒人教会でゴスペルに触れ、黒人のストリートで、悪魔の音楽であるブルースにもひたった。

エルビスが、最初に関係者が彼の歌を聴いたとき、「黒人の歌手だろう」と言ったのは実に正しいことだった。同様のことは、バディ・ホリーにもあり、彼はニューヨークのアポロ劇場にデモ・テープを送って出演となったが、来たのが白人だったので、劇場側はびっくりしたそうだ。

要は、アメリカの中西部では、白人と黒人の音楽、文化がかなり融合していたのだ。

アパラチャ山脈の両側は、鉱山地帯で、そこにはアイルランド、スコットランド、さらに黒人の労働者が働いていて、混合していたからだ。カントリーも、この辺で生まれていて、女性歌手ロレッタ・リンの歌には、『コールマイナーズ・ドーター』、まさしく炭坑夫の娘があり、映画にもなっていて、シシー・スペイセックが主演して、良い映画だった。

ここでは、エルビスは、最初は、ハンク・スノー一座の前座歌手として南部の町を廻る。

ハンク・スノーは、かなり非黒人的な唱法だが、もう一人の大ハンクのハンク・ウィリアムズは、よく聞くとかなり黒人音楽的な感じである。

この辺では、黒人と白人の音楽が融合していたのである。

そして、若きエルビスの肉体的な唱法は、まさにゴスぺル、黒人音楽のもので、テレビの『エド・サリバン・ショー』では、下半身を映さないことにまでなる。

だが、当時の若い女性には圧倒的な人気で、日本でも、原水爆反対と新劇運動に邁進していた湯川れい子さんも、エルビスに感動し、女性音楽評論家になる。

この映画では、エルビスのマネージャーだったトム・パーカーの悪行が描かれる。

私が最初に彼が、オランダからの不法移民で、パスポートもないので、エルビスは、兵役の西ドイツ以外、海外公演ができなかったのは、トムの性だと知ったのは、湯川れい子さんの本でだった。

そして、ラスベガスのMGMインターナショナル・ホテルでのライブ。これは本当に凄い。

まるで、ゴスペルを歌い、神に向かって昇華しているようだ。

こんな公演を毎日やっていたら、それだけで心身ともに消耗してしまうし、寝るために精神を平静にするには、薬の助けが要ったと思う。

そして、1977年8月、42歳で亡くなってしまう。

上大岡東宝シネマ

 

 


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