昨日、用があって磯子駅に行ったが、数年前の比べて一層さびれていた。
横浜銀行の駅前支店もなくなっていて、スルガ銀行は、昼休みをとっていた。
もともと、この磯子駅は、本来の磯子ではない場所に作られたのだ。
本来の磯子は、今は警察と消防署がある磯子区の「浜」近くのことで、昔の磯子区役所もそこにあった。
美空ひばりが生まれた滝頭も、このエリアの奥で、昔から人の多いところだった。
だから、磯子駅は、この辺に作ればよかったのだが、西武の堤康二郎が、自分が取得した旧東伏見宮家の下に駅を作らせたのだ。
彼は、運輸族の大物で、衆議院議員だったのだから、容易に出来たのだろう。
だが、磯子エリアは、すぐに崖で、土地が狭く、人口はほとんど増えなかった。
だから、磯子エリアは、成長せず、新杉田が再開発されると、そこに区民の需要は移動してしまったのだ。
町の発展は、そう簡単に人為的にはできないと言う良い例である。