桜木町のシネマ歌舞伎で、玉・孝コンビの『桜姫東文章』を見る。
上の部で、下は来週見るので、中身についてはその時書く。
最後、流浪の身になった玉三郎の姫様が、赤児を抱えて海岸淵をいく。
これは、日本映画で大ヒットした「母もの」だなと思う。
東映にいた深作欣二は、助監督時代、さんざ母ものの「浪曲映画」をやったそうだ。
「これは、非常に楽でいいの、母と娘がさんざ苦労して、海岸淵を歩いたり離れたりするだけで、人避けなどがいらないのよ」
150年前の江戸末も、次第に進む資本主義と近代化の中で、庶民の中でも没落していく者が多数出て、さまざまな悲劇が生まれたのだと思う。
浪花節や講談でも、こうした悲劇があり、それが母ものになったのだろうか。