映画『大日本スリ集団』で、前に阿佐ヶ谷ラピュタで見たときも不思議に思ったことがあった。
それは、この大阪、京都、そして阪急電車沿線をロケしている作品が、なぜ宝塚映画で作られなかったのかである。
大阪の道頓堀、京都の祇園祭、阪急電車での三木のり平のスリの実行など、普通に考えれば、宝塚映画で制作すればいい作品で、事実制作は宝塚の寺本忠宏で、照明も下村一夫である。
だが、この作品は、脇に劇団民芸などの新劇の俳優が沢山でている。
だから、東京にいる彼らをわざわざ関西まで行かすのは、旅費等が掛るので、すべて東京でやることにしたのではないかと私は思う。
実際に、関西に行ったのは、三木のり平と小林桂樹、酒井和歌子、田中邦衛、菅原健二ら程度のように見える。
さすがの東宝も、この時期は随分と予算が苦しくなっていたのだな。
同様に、日活で舛田利雄の秀作に『紅の流れ星』があるが、これも本当に神戸に行ってロケ撮影したのは、渡哲也、浅丘ルリ子、宍戸錠、藤竜也くらいのように見える。その他大勢は、皆横浜港での撮影にされている。
1960年代後半は、どこの会社も大変だったのだなとあらためて思う。