横浜には、二つのヨットのクラブがある。
YCCとYYCで、横浜クルージンブクラブと横浜ヨットクラブ(協会)である。
YCCは、新山下の貯木場の近くにあり、岡本造船所の隣で、サスペンスドラマの背景としてよく出てくる。
YYCは、磯子にあり、ここは明治時代に横浜に居留していた外国人によって作られたもので、これも元は新山下の貯木場の脇にあった。
その姿は、篠田正浩の映画『涙を、獅子の立髪に』に外人のヨットクラブとして出てくる。
当時は、まだ貯木場も使われていて、その水面に死体が浮いているシーンもある。
その周辺には、学連ヨットクラブという、首都圏の大学のヨットクラブの施設もあり、建築家の長谷川逸子先生も大学時代に通ったことがあると言っていた。
この学連クラブは、1964年のオリンピックのとき、江ノ島に移転した。
一方、YCCの前面の海域は、本牧ふ頭の埋立が進行していった。
そこで彼らは、自主的に新山下から磯子に移転した。
私が港湾局にいたのだから、1980年代だと思うが、背の高い男が、勢いよく港湾局長室に飛び込んで行った。
それは、ケン・田島こと漆原一郎氏で、当時YCCの代表だった。
要望は、新山下から磯子への移転に関して我々は、なにも金銭的補償を受けていないのだから、何かよこせというものだった。
これについては、港湾局も財政局も非常に困っていた。
YCCの陸上部分は、どこからか借りていたのだろうが、使用していた海上部分は、水域占用という許可だったからだ。
水域占用というのは、1年ごとの使用許可で、終了しても補償はないからだ。
どうにも補償する理由はなにのだが、そんなことは百も承知で出して来たのだと思う。
結果は、私の知る限り、横浜市が補償したことはないと思う。