大学に入って驚いたことの一つに、みなラジオ関東を知らないことだった。
地方の人間はともかく、東京の人もよく知らないのだ。
ラジオ関東の送信所は、多摩川の川崎側の多摩川大橋の近くにあったので、東京でも南部の池上では強力な電波で入っていたのだ。
そこでは、『ポート・ジョッキー』などの番組があり、「港が見える云々」を言っていて、横浜の高台にあるように見せていたのだ。
だが、それは建前上のことで、実際はほとんど港区麻布台で制作されていた。
開局の際の競争で、神奈川県の放送局とのことで、河野一郎の力でできたので、横浜から放送しているとの建前が必要だったのだ。
だが、実際は麻布台で作られていたそうで、当時の放送作家には、向田邦子や五木寛之などもいたそうだ。
私の知合いの音楽評論家も、学生時代にラジオ関東でアルバイトをしていたそうだが、麻布台だったそうだ。
また、私は、1980年代に横浜市会の議長秘書となり、マスコミ挨拶の一環で野毛の本社に行った。
そこには、放置された古い放送機材があるだけで、いるのも高齢の留守番の夫婦だけだで、非常に驚いたものだ。
そこで、1990年代に中区長者町に本社を作ることになったが、これは横浜市の外郭から取得したものだが、これも問題ありだった。
理由は簡単で、ビルの大部分が他社が入っていて、自社ビルではなく、貸しビルになっていたからだ。
若竹さんは、細郷道一横浜も「困ったものだ」と言っていたとのことだ。