1965年8月に公開された羽仁進監督作品。主演は、渥美清で、一人でタンザニアに行き、研究者用のプレハブ住宅を作る男を演じる。原作はあるが、ほとんどは創作のようだ。
脚本は、清水邦夫で、音楽は武満徹、撮影は金宇滿司で、助手は後に今村昌平作品の撮影を担当する栃沢正夫と岩波映画系の人である。
以下は、上映終了後の高崎俊夫さんのトークから。
これが、フランスで公開されたとき、
「主演の日本人の男と現地の男の二人の素人が良い」という評があったそうだ。
ここの渥美清は、『男はつらいよ』の車寅次郎とは異なる普通の演技をしていて、驚く。私は、16年前に横浜のシネマジャックで見て二回目だが、一緒に見た小林君は初めてで、非常に驚いたそうだ。
小津安二郎映画の、笠智衆や杉村春子らの日常的演技が、まるで演技していないように見えるのは、実は最高のプロの役者にのみできることだと同時である。
演技の究極は演技していないように見えることだからだ。
現地の男たちを使って渥美清は、住宅を作るが、なかなか上手く行かず、喧嘩になり村から出ていくようにされてしまう。
そこに現れるのが学者の下元勉で、隠者のような研究者だが、これは完全な創作だそうで、ゴリラの死骸が発見されたことから急遽作られたものとのこと。
まるで国際的な即興演出で、すごい。
そして、渥美は現地の男たちを理解し、彼らに合せて仕事を進め、無事プレハブ住宅を完成させる。
こんな映画を作ったのはすごいことだが、制作の東京映画は、『駅前シリーズ』で儲かっていたので、こんな地味な作品も作れたのだろう。
東京映画は、東宝系だが、一種の独立プロだったので、5社協定には抵触せず、松竹の伴淳三郎を出すことができたのだ。同様に、東京映画では、山本富士子や若尾文子らも出ていたが、今は完全に消滅している。
もう一つの昭和映画は、元は脚本家の栄田清一郎の会社で、羽仁進との関係の深い会社だった。
実は、これは1964年の秋に撮影されたそうで、東京オリンピックの喧噪から逃れたい渥美が、アフリカに行って撮影されたものだ。
横浜マリンシネマ