土曜日に行う「アフリカ音楽講座」のために、ビデオやCDを視聴し直していて、この20年間位に多くの人が亡くなっていることに驚く。
まず、1991年と92年の「ウォーマッド横浜」のビデオを見たら、
出演者でシエラレオーネのS・E・ロージー、パキスタンのヌスラット・ファテ・ハーン、日本のロック・バンド、ボ・ガンボスの「どんと」こと久富隆司など。
インタビューで中村とうようさん、
さらに臨港パークのステージの観客の一人としてパシフィコ横浜の社長だった高木文雄さんなど。
1991年にwowowで放送された中継特番では、戸川京子と山口美江、この女は誰か分からなかったが、よく見ると「元祖イリンギャル」の山口だった。
戸川京子は自殺だったので、仕方ないが、山口美江も随分若くして亡くなられたものである。
そして、ジンバブエのトーマス・マプフーモのCDを聞いていて、その解説は、山崎暁さんだった。
山崎さんといっても、もう知らない人も多いと思う。私も名前だけであり、実際にお会いしたことはない。
だが、1990年頃まで、日本のアフリカのポピュラー音楽の紹介、批評では、第一人者の一人だった。
だが、1990年ごろ、たいへん若くして、恐らく30代で亡くなられてしまった。
400枚以上も所有していたと言われるアフリカの貴重なレコード・CDは、ご両親のもとから、故人の意思で中村とうようさんに寄託された。
それも2年前のとうようさんのコレクションの寄贈によって、今は武蔵野美術大学図書館に所蔵されているはずである。
この山崎暁さんが突然に若くして亡くなられた時、不謹慎な噂があり、
「アフリカのレコードの溝にはエイズ・ウィルスがいて、素手で触れていると傷口からエイズに感染するので、山崎さんの死もそうだ」というものだった。
だが、エイズ・ウィルスが性的行為以外で感染することはなく、山崎さんの死は、若者に時としてある突然死である。
いずれにしても、多くの先駆的な死者のご冥福を祈りつつ、アフリカ音楽講座をすることにしたい。