1940年の東京発声映画作品、原作は和田伝、脚本は八木隆一郎、監督は豊田四郎。豊田は、私が好きな監督だが、この時期は、朝鮮での徴兵志願を描く『若き姿』などと同様、国策に準じる作品で意外な感じがする。
冒頭に大日向村の説明があり、長野県南佐久群で、名前とは逆に谷間の村で、陽が差さず、耕地もすくないので、穀物栽培の他、養蚕でやっと生きている寒村。村の産業組合長河原崎長十郎のところに、村長になった中村翫右衛門が来たところから始まる。村長は、当時は県知事の指名だったと思う。二人は、村を救うには抜本的な策が必要だと一致し、それは満州移民だとなる。村で講演が行われ、講師は「移民は武装移民であり、片手に銃、片手に鍬だ」と扇動する。まさしく国策移民であり、農村の人口過剰と満州の開発を同時に可能とする策だとされた。実に愚かしいことである。しかも、移住先は北満でソ連との国境地帯だったのだからひどい。1945年8月にソ連が国境を越えてきたとき、関東軍はすでに主力は南方に行ってしまっている上に、残りの部隊も住民を残して最初に逃げたのだから。日本軍は天皇を守る軍であり、国民を守る軍隊ではなかった。いろいろあるが、ついには分村して満州に行くことになる。村の油屋への借金があり、これが問題だが、実際は国から補助金が出て解決したようだ。油屋というのは、村で唯一の食料品屋だと思う。万歳三唱で、第一団は出ていき、次も続くぞとなる。だが、その後の悲劇は有名だろう。ドキュメンタリーでも、敗戦時、さらに戦後日本に戻ってきてからの村人の苦闘は本当に悲劇的で、国が作った悲劇である。ラピュタ阿佐ヶ谷
冒頭に大日向村の説明があり、長野県南佐久群で、名前とは逆に谷間の村で、陽が差さず、耕地もすくないので、穀物栽培の他、養蚕でやっと生きている寒村。村の産業組合長河原崎長十郎のところに、村長になった中村翫右衛門が来たところから始まる。村長は、当時は県知事の指名だったと思う。二人は、村を救うには抜本的な策が必要だと一致し、それは満州移民だとなる。村で講演が行われ、講師は「移民は武装移民であり、片手に銃、片手に鍬だ」と扇動する。まさしく国策移民であり、農村の人口過剰と満州の開発を同時に可能とする策だとされた。実に愚かしいことである。しかも、移住先は北満でソ連との国境地帯だったのだからひどい。1945年8月にソ連が国境を越えてきたとき、関東軍はすでに主力は南方に行ってしまっている上に、残りの部隊も住民を残して最初に逃げたのだから。日本軍は天皇を守る軍であり、国民を守る軍隊ではなかった。いろいろあるが、ついには分村して満州に行くことになる。村の油屋への借金があり、これが問題だが、実際は国から補助金が出て解決したようだ。油屋というのは、村で唯一の食料品屋だと思う。万歳三唱で、第一団は出ていき、次も続くぞとなる。だが、その後の悲劇は有名だろう。ドキュメンタリーでも、敗戦時、さらに戦後日本に戻ってきてからの村人の苦闘は本当に悲劇的で、国が作った悲劇である。ラピュタ阿佐ヶ谷