藤田敏八監督の『妹』には、大変に面白い場面がある。それは、林隆三が、鎌倉に行き、今は吉田由貴子が一人でやっているブティツク「おいで」に行く。そして、夜林が毎日食堂に戻ってくると、秋吉久美子と吉田日出子がラーメンを食べている。ジーパンから砂と木製のメガネが落ち、秋吉は言う「鎌倉・・・」林は言う、秋吉のために鎌倉に行って吉田と話し合って来た、と。吉田日出子は言う「裸で話し合って来たのね、サイテイね、今電話があったのよ」秋吉は言う「今日、お兄様にむりやり犯されました、公衆便所で」林は反論する「それは、あいつの罠だ、俺をネリから取ったという・・・」吉田はさらに言う「自分から、その甘い罠に落ち込んだのね、虫の良い話ね」
これはよく言われる陰謀論が嘘であることを証明していると思う。真珠湾攻撃のルーズベルトのやらせ、盧溝橋事件でのコミンフォルムの陰謀など、世に「陰謀論」は多い。彼らの陰謀で日本は戦争に巻き込まれたというのだ。だが、どちらも、衝突が起きたとしても、それが偶然の結果ならば、どこかでやめられたはずである。それが、どこまでも行ってしまったのは、結局は日本側に戦争をしようと言う意思があったからである。そうしたことを無視して、陰謀に引っかかったというのは、自己の主体性を否定するものだと思う。
これはよく言われる陰謀論が嘘であることを証明していると思う。真珠湾攻撃のルーズベルトのやらせ、盧溝橋事件でのコミンフォルムの陰謀など、世に「陰謀論」は多い。彼らの陰謀で日本は戦争に巻き込まれたというのだ。だが、どちらも、衝突が起きたとしても、それが偶然の結果ならば、どこかでやめられたはずである。それが、どこまでも行ってしまったのは、結局は日本側に戦争をしようと言う意思があったからである。そうしたことを無視して、陰謀に引っかかったというのは、自己の主体性を否定するものだと思う。