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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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3月中旬は・・・

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先週から急に寒い日が続いたが、3月中旬は寒い日があるのだが、私の父親の指田貞吉も、3月15日に亡くなった。1960年である。
カレンダーで見ると火曜日で、私は小学校6年生で、通常の授業は終わっていたが、クラスの卒業記念文集を作るため午後も残ってガリ切をしていた。
2時過ぎくらいだったと思うが、家から電話がかかっていると言うので、事務室に行くと一番下の姉からで、
「お父さんが倒れたので、すぐ帰って来て」とのことだった。
その時は、「またか・・・」としか思わなかったのは、2年前の夏にも脳梗塞で倒れたが、言語に障害は残ったが無事回復し、小学校校校長として職場に復帰していたからだ。




三女の姉と大森の日赤病院に行くと、父はベッドに高いびきで寝ていて、その夜亡くなったのだ、昭和天皇と同じ1901年生まれなので、58歳だった。
その日の天気は昼間は曇りだったが、夜は雷鳴があったそうで、低気圧が通過したのだと思う。
低気圧が通過するので、気圧が下がり、高血圧の者は、脳内の血圧が上がり、脳梗塞等になるとのことだ。
だが、父が倒れたのは、気圧ではない。
その日は、大田区入新井第二小学校では、午後にPTAの会合があり、そこに行く途中の階段の踊場で俯せで倒れたいたのだそうで、たぶん階段を昇っている最中に梗塞が起こり、踊場に倒れたのだと思う。
父は、私とは異なり、運動も上手で、その点は兄の方がよく似ている。
父のことを書くと長くなるので、それはまた書く。



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