元横浜市大の先生だった今井清一氏が亡くなられた、96歳。
私は、先生と付き合いはなかったが、一度だけ野毛の飲屋でお会いしたことがある。
それは、たぶん1986年の2月ごろで、横浜市長選挙の時だった。
野毛に沖縄料理の飲屋があると言うので、小林君に連れられて行くと、2人の高齢の方が飲んでいて、その一人が今井先生だとすぐに分かった。
その日は、横浜市長選挙の時で、今井先生は、細郷道一市長の対抗馬として共産党系の候補として出ていた伊豆利彦先生の後援会長をしていて、その日も街頭での運動の帰りとのことだった。
私も、小林君も、細郷市政に問題がないとは思わないが、日本共産党は嫌いなので、
「なぜ先生は共産党候補を支持されるのか」聞いた。
すると、先生は、「やはり、ものごとには反対者の存在が必要だからだ」と答えられたと思う。
そして、われわれ二人は、「『昭和史』の続編をぜひ出してください」と懇願した。
先生が、どう答えたかは憶えていない。
さて、今回の訃報で喪主は、妻楊となっていたが、この女性は言うまでもなく、尾崎秀実の一人娘である。
現在では「ゾルゲ事件」の発覚の裏切者とされた元日本共産党幹部の伊藤律について、尾崎秀樹の著書『生きているユダ』についても、その真贋が相当に問題になっている。
今井先生は、どのような思いだったのだろうかと思う。
ご冥福をお祈りしたい。
私は、先生と付き合いはなかったが、一度だけ野毛の飲屋でお会いしたことがある。
それは、たぶん1986年の2月ごろで、横浜市長選挙の時だった。
野毛に沖縄料理の飲屋があると言うので、小林君に連れられて行くと、2人の高齢の方が飲んでいて、その一人が今井先生だとすぐに分かった。
その日は、横浜市長選挙の時で、今井先生は、細郷道一市長の対抗馬として共産党系の候補として出ていた伊豆利彦先生の後援会長をしていて、その日も街頭での運動の帰りとのことだった。
私も、小林君も、細郷市政に問題がないとは思わないが、日本共産党は嫌いなので、
「なぜ先生は共産党候補を支持されるのか」聞いた。
すると、先生は、「やはり、ものごとには反対者の存在が必要だからだ」と答えられたと思う。
そして、われわれ二人は、「『昭和史』の続編をぜひ出してください」と懇願した。
先生が、どう答えたかは憶えていない。
さて、今回の訃報で喪主は、妻楊となっていたが、この女性は言うまでもなく、尾崎秀実の一人娘である。
現在では「ゾルゲ事件」の発覚の裏切者とされた元日本共産党幹部の伊藤律について、尾崎秀樹の著書『生きているユダ』についても、その真贋が相当に問題になっている。
今井先生は、どのような思いだったのだろうかと思う。
ご冥福をお祈りしたい。