この映画の監督布川徹郎の初期の作品を見たことがある。
『早大闘争』で、1965・66年に早稲田で起きた「学費・学館闘争」を写真で記録した映画である。大島渚の『忍者武芸帳』のような作りである。
彼は、早稲田ではカメルポ研にいたが、その後は国内の「過激派」の活動を撮る記録映画監督になる。
そして、次第に海外へ対象を移していき、この映画では、八重山の漁民が沖縄から台湾等へ国境を越えて漁をしていることが証言される。
さらに、台湾の高砂族のかつての日本語の唄を歌う老人たちの姿が描かれる。
こうした取材は、竹中労の示唆によるものだったようだが、あまり上手くいっていないと見える。
その後、布川は関西の下層労働者の記録を撮るようになったらしいが、最後は相当に悲惨なものだったらしい。
国立映画アーカイブ
『早大闘争』で、1965・66年に早稲田で起きた「学費・学館闘争」を写真で記録した映画である。大島渚の『忍者武芸帳』のような作りである。
彼は、早稲田ではカメルポ研にいたが、その後は国内の「過激派」の活動を撮る記録映画監督になる。
そして、次第に海外へ対象を移していき、この映画では、八重山の漁民が沖縄から台湾等へ国境を越えて漁をしていることが証言される。
さらに、台湾の高砂族のかつての日本語の唄を歌う老人たちの姿が描かれる。
こうした取材は、竹中労の示唆によるものだったようだが、あまり上手くいっていないと見える。
その後、布川は関西の下層労働者の記録を撮るようになったらしいが、最後は相当に悲惨なものだったらしい。
国立映画アーカイブ