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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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渡辺とも子も、横浜だった

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昨日は、中区の仲尾台中学コミュニティハウスで、「映画と歌謡曲の舞台・横浜」をやった。
来月11月16日には「歌謡編」をするのだが、昨日は「映画編」だった。

戦前の昭和8年のサイレント映画、小津安二郎の『非常線の女』、15年の『煉瓦女工』
戦後は、24年の『ラッキー百万円娘』から、1973年の『赤い鳥、逃げた?』まで、そして最後は、国立競技場をバックに日活の青春スターの、
『上を向いてあるこう』で締めくくった。

そして終わった後、一人の方が来られて、『上を向いてあるこう』には、吉永小百合、浜田光夫、坂本九、高橋英樹らと共に出ていた渡辺とも子について話してくれた。
「渡辺とも子も、横浜にいたんだよ」と教えてくれた。

     

彼女の経歴は、豊島区生まれとなっているが、「中学時代は、横浜にいたのだ」とのこと。
また、中区の元町プールにはよく行ったとのことで、これは『赤い鳥、逃げた?』で、近くの公衆電話から、桃井かおりの父親も内田朝雄に電話し、誘拐で金を要求するが断られるのである。

同じく横浜の青山ミチもよく野毛山のプールで見かけたとのこと。
「そうだ、横浜の歌手で青山ミチもいたのだ、来月は掛けようと」と思った。
彼女は、所謂混血の歌手で、パンチのある歌い方で、人気があったが、2017年に亡くなられている。

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