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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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映画『東京裁判』

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横浜シネマリンで今日まで映画『東京裁判』をやっているのだが、先日左足を階段で踏み違えたらしく非常に痛み、地下に降りるのはきついので、家でビデオで見る。
小林正樹監督の作品は、異常に真面目すぎて辛いのだが、これは出てくる人間たちが非常に個性的で面白いので、退屈しない。

佐藤忠男さんによれば、東京裁判が行われていた当時、「米軍はフィルムを湯水のように使って裁判の全貌を撮影しているらしい」と噂されていたそうだ。
その通りで、米国は裁判のすべてを日本語、英語の同時録音も含めて撮影していたのだ。
米国は、太平洋戦争の途中から、16ミリで同時録音のできるカメラを開発していたので、米国側のフィルムは、戦争の途中から音も入った記録が残されている。
これだけでも、日本とアメリカとの国力の差がよく分かるだろう。

俗に「東京裁判史観」があり、自虐史観の根源とされているが、今日客観的に見て、東京裁判は公平なものだったと思う。
もちろん、昭和天皇を、米国の日本統治の都合で被告としなかったの問題点はあるだろうが。

なぜ、いわゆる「歴史修正主義」があるかと言えば、戦前の日本が、一応は憲法を持った君主制だったと共に、王制復古に象徴される復古主義があったことにあると思う。
明治、そして戦前は良い時代だったとしたい「郷愁主義」で、実はこれは、関東大震災から昭和初期の不況時の、「近代化の罰」と捉える意識にすでにあったのである。2011年の東日本大震災の時、石原慎太郎が言った「天罰」も同じで、古いのだ。

さて、映画『東京裁判』では、後半の内大臣木戸幸一と総理大臣東条英機の証言が非常に面白い。
どちらも昭和天皇の戦争責任がないことを証言するものだが、政治的には確かに立権君主としての天皇には戦争責任はなかっただろう。
だが、陸海軍の統帥者としての昭和天皇にはどうかと言えば、責任はあったのではないかと私は思う。
ただ、それはマッカーサーも、検事のキーナンも不起訴にしてしまう。
日本統治に天皇は必要だったからだ。
そのとおり、日本は共産化されず、天皇制も無事引き継がれて令和時代の今日に至っている。
それを支えたのは、象徴天皇制と平和主義と国民主権である。

    

ここに米国人の日本側弁護士として出てくるジョージ・ファーネス氏だが、1960年代は、外人俳優としてよく映画やテレビに出ていたと思うが、その本人だろう。





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