土曜日は、深川に行き、全国小津安二郎ネットワークの総会等に出る。
門前仲町は大変な人混みだったが、古石場文化センターは、小津作品のような静謐さだった。
トークイベントは、『小津安二郎大全』を出した宮本明子と松浦莞爾で、本についての話で、ほとんど知っていることだったが、小津の『麦秋』が1950年代に、高校の教科書とされていたのは初めて知った。
当時の高校生は、まだエリートだったのだなと思う。
質問の中で、1950年の新東宝での『宗形姉妹』は、なぜ「むねかたきょうだい」とされているのか質問したが、お二人からはご回答はなし。
会場の参加者からは、「監督の遊びではないか・・・」とのご意見もあった。まあそうだとも言えるだろう。
小津は別として、川島雄三の1960年の『夜の肌』では、主人公で元女優の淡島千景がチェーホフの『三人姉妹』を都市センターホールで見る場面がある。
淡島は、「さんにんきょうだい」と言っている。これは東京映画で、文学座にもいた椎野英之が製作なので不思議だが、脚本が冗談好きの柳沢類樹なので、
柳沢の遊び、見るものを試したのかもしれない。
総会では、小津ネットができて公開されたことも披露されたが、これは非常によくできたものである。
懇親会では、元文芸春秋にいて、高橋治の『絢爛たる影絵』、田中真澄の『小津安二郎周游』などを担当された細井秀雄さんとお話しする。
そこでは、江藤淳は日比谷高校時代演劇部にいて、そこには篠沢秀夫、佐藤純弥などもいたとのことで、江藤は演出だったとのこと。
佐藤は、後に映画でもチョイ役で出ているので、結構役者として上手かったように思うが、江藤は役者としては駄目だっただろうと思う。
そこで思い出したのは、私の先輩の林裕通さんが、「鈴木忠志が一番影響を受けたのは、江藤淳だろう」と言ったことだ。
鈴木は、江藤の著作の裏に演劇的資質を感じて、鈴木メソッドを作ったのかもしれないと思った。
大変に有意義な一日だった。
門前仲町は大変な人混みだったが、古石場文化センターは、小津作品のような静謐さだった。
トークイベントは、『小津安二郎大全』を出した宮本明子と松浦莞爾で、本についての話で、ほとんど知っていることだったが、小津の『麦秋』が1950年代に、高校の教科書とされていたのは初めて知った。
当時の高校生は、まだエリートだったのだなと思う。
質問の中で、1950年の新東宝での『宗形姉妹』は、なぜ「むねかたきょうだい」とされているのか質問したが、お二人からはご回答はなし。
会場の参加者からは、「監督の遊びではないか・・・」とのご意見もあった。まあそうだとも言えるだろう。
小津は別として、川島雄三の1960年の『夜の肌』では、主人公で元女優の淡島千景がチェーホフの『三人姉妹』を都市センターホールで見る場面がある。
淡島は、「さんにんきょうだい」と言っている。これは東京映画で、文学座にもいた椎野英之が製作なので不思議だが、脚本が冗談好きの柳沢類樹なので、
柳沢の遊び、見るものを試したのかもしれない。
総会では、小津ネットができて公開されたことも披露されたが、これは非常によくできたものである。
懇親会では、元文芸春秋にいて、高橋治の『絢爛たる影絵』、田中真澄の『小津安二郎周游』などを担当された細井秀雄さんとお話しする。
そこでは、江藤淳は日比谷高校時代演劇部にいて、そこには篠沢秀夫、佐藤純弥などもいたとのことで、江藤は演出だったとのこと。
佐藤は、後に映画でもチョイ役で出ているので、結構役者として上手かったように思うが、江藤は役者としては駄目だっただろうと思う。
そこで思い出したのは、私の先輩の林裕通さんが、「鈴木忠志が一番影響を受けたのは、江藤淳だろう」と言ったことだ。
鈴木は、江藤の著作の裏に演劇的資質を感じて、鈴木メソッドを作ったのかもしれないと思った。
大変に有意義な一日だった。