先日、亡くなった女優の樹木希林の夫としては、内田裕也が出ている。
だが、彼女(当時は悠木千帆)が最初に結婚した相手は、俳優の岸田森である。
この二人は、文学座の研究生仲間で、一時は、東大や早稲田の劇研の山元清太、村松克己、津野海太郎、佐伯隆幸らと共に、六月劇場という劇団をやっていたことがあり、蜷川幸雄とも交流があったのだそうだ。そこには、文学座の研究生仲間だった草野大吾や田島和子らも参加していた。
詩人の長田弘が書いた劇『魂へのキックオフ』は、小劇団の公演には珍しく新宿の紀伊国屋ホールで行われたが、それは岸田の「顔」だった。言うまでもなく、岸田森は、文学座の創立者の一人岸田國士の弟の息子であり、岸田今日子とは従姉弟に当たる人物だったからだ。
この公演の時、蜷川幸雄も見に来たが、見た後で「こんな程度か・・・」という顔で帰ったと津野の本に書かれている。
私は、高校生だったので見ていないが、実際に見た方の話だと相当にひどいものだったようで、晶文社から戯曲が出ていて私も読んだが、大変に詰まらない作品だった。
だが、六月劇場は、結構注目された劇団で、研究生を募集したら、200人も来たそうで、後の研究生には、『八月の濡れた砂』の広瀬昌助もいたし、あの松田優作も当時は劇団の裏方の一人だった。劇団は1960年代の中頃に解散するが、事務所としては残ったいて、多くの役者は六月劇場の所属で活動していたらしい。
岸田も樹木も、「これは到底将来はない」と思ったのだろう、岸田は映画に行き、東宝の「吸血鬼シリーズ」の主演として活躍する。
また、樹木は、TBSの大型ドラマ『七人の孫』での東北出の女中役の、森繫久彌との掛け合い芝居の上手さで注目されて、テレビの人気者になる。
そして、二人は離婚し、岸田は女優の三田和代と再婚し、樹木は内田と再婚した。
樹木希林の二人の夫である、岸田森と内田裕也は共通していることがある。
それは、どちらも都会生まれで、結構良い家の出であることだ。
類は友を呼ぶというべきだろうか。