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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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昭南島の小津安二郎

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話題の米朝のシンガポール会談だが、予測通り中身には乏しかったようだが、関係ができたことは良いことだと思う。

さて、太平洋戦争中に日本はシンガポールを占領し、昭南島と改称した。

戦時中に、ここに小津安二郎が来ている。

               

目的な、戦意高揚映画『遥かなる父母の国』を作るためのシナリオ・ハンティングだったが、結局何も書けずに終わり、彼らは収容所に入れられ、小津は引き上げの人間の一番最後の昭和21年に戻ってくる。

これは何か意味があったのだろうか。

私は大きな意味があったと思っている。

それは、小津安二郎は、戦前は典型的なアメリカ映画かぶれだった。

だが、昭南島で小津は、多数のアメリカ映画を見た。『風と共に去りぬ』を見て

「こんな映画を作る国と戦争をしてはいけないな」と言ったのは有名だが、それは彼の本音だったと思う。

戦後の小津の映画は、『長屋紳士録』や『風の中の牝鶏』などの戦後の日本の現実を描いた作品の後、『晩春』で日本的な世界へ回帰して成功する。

その後、小津は『晩春』『麦秋』、そして『東京物語』と日本的な世界の名作を作るようになる。

その意味では、小津安二郎が昭南島に行ったのは、非常に意味があった思うのである。

 


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