映画『生きる』が終わって、橋本忍は黒澤に呼ばれ、
「今度は武士の一日を描き、普通のように登城し、そこで重大な失敗を犯して切腹する」というアイディアだったそうだ。
江戸時代の武士は、地方公務員みたいなもので、その藩の財源の木材の江戸への搬出量の計算に間違いがあって大事件になるというものだったそうです。
だが、江戸中期頃の普通の生活は、どういうものか不明だったので断念する。
一番の問題は、一日は二食か三食か、弁当は持参するのか等が分からなかったので止めになった。
同じ頃、今井正も映画『夜の鼓』を準備していたが、ここでも冒頭の松江藩の参勤交代の列が何人くらいなのか、先生によって言うことがまったく異なるので、適当にごまかしたとのこと。
次に、橋本は「剣豪伝」を書こうと図書館に行って昔の剣豪伝を基にしてシナリオを書いた。
だが、これも黒澤からは「クライマックスだけでは映画にならない」とあきらめた。
その時、製作の本木荘二郎が、「武者修行中で飢えた武士は、村を守ることで百姓に食わせてもらうことがあった」との話を持って来て、
「これだな!」となった。
そこを黒澤明がセカンド助監督として付いた滝澤英輔監督の『戦国野盗伝』の世界に当てはめてシナリオを作ったというのが『七人の侍』なのです。
だから、それの最初には、罪を犯した者の贖罪意識があったのです。
戦国時代にしたのは、最後の最後のことなのです。
<戦争になったから暗い>も全く違います。
昭和恐慌の後、1931年の満州事変、満州国成立、そして日中戦争によって、日本は世界で最初に不況を脱出し、大変な好景気になったのです。
1933年は好況で、エロ・グロ・ナンセンスの明るい時代でした。
小説家山口瞳の父親も、この頃の戦時景気で、工場を建てて戦時成金になったそうです。
太平洋戦争でも同じで、現在は現役最年長の現代詩人の平林敏彦さんに2年前にお聞きしたところでは、
「太平洋戦争まではかなり平和な緩い時代で、本当に検閲等の取り締まりが厳しくなったのは戦争が起きた1941年以降ですね」と言っていました。
本当に日本国中がひどくなったのは、1944年にサイパン島が落ちてB29の空襲が始まってからだと思います。
とに角もっと歴史を勉強してください。