これを見ていると、出光佐三は、いけいけドンドンの単純な男に見える。
だが、そうだろうか、あのような非知性的な男は、どうして出光美術館を作れたのだろうか。
また、彼の娘の2人は、共に前衛美術家と結婚しているが、どうしてなのだろうか。
家族主義経営を標榜していた彼の家庭は、男尊女卑の典型だったらしいが、そうした矛盾こそ本当は描くべきだったのではないかと思うが、全くそうした観点はなく、極めて単純化されている。
まるでやくざ映画で、良い組が悪い組に迫害されて耐えるが、最後は勝つというごく単純な筋になっている。
脚本・監督の山崎一は、1940年代のシーンに歌われる社歌の中で、「なんとかの、いきざま」と書いている程度の人間だから無理もないのだが。
生きざまは、1970年代頃にできた新語で、1940年代のシーンに出てくるわけもないのだから。
私が考えるに、出光佐三はかなり複雑な人物で、19歳の時に美術品のコレクションを始めたというのだから、凄い。
そして、三女は美術評論家の東野芳明と、4女の真子は、サム・フランシスと結婚していたのを見ても、それなりに美術に理解があった人間であることは間違いない。
ドラマとしては、ラストに出てくる、大叔母からのアルバムとして晩年の佐三に渡す黒木華の演技、それにタンカーの船長の堤真一にしか見れべきところはなし。
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