1953年7月の神奈川新聞から映画広告を見る。
そこには、野毛の光音座が東宝封切り館になると出ていた。光音座と言えば、今や野毛地区唯一の映画館で、ゲイポルノの専門館でもある。
大蔵映画のものであり、この1953年頃までは新東宝と松竹の封切り館だったようだ。
それを8月から東宝にするとの予告であるが、この1953年の松竹は『君の名は』が大ヒットさせており、松竹の全盛時代だった。
しかし、ようやく東宝が砧撮影所の体制を整備しつつあり、翌1954年には『七人の侍』『宮本武蔵』、そして『ゴジラ』のヒットを出すのだから、実に時代の推移をよく見ている。
この東宝封切り館がいつピンク映画館になったのかは、知らないが、いずれ調べてみたい。
この映画広告で、他の館で気が付いたのは、日活はまだ洋画で『ゼンダ城の虜』、また邦画館では、馬車道の横浜東宝は『ジャズタイム』、グランドは『実演・江利チエミ』、ヨコギンは『女剣劇』と実演が付いていたことである。
ヨコギンは、横浜橋にあった館で、1970年代にはピンク映画をやっていたので、この女剣劇も、かなりエロチックなものだったではないかと思う。