1985年に浅草の常盤座で、初演を見て大変に感激し、すぐに「ミュージツクマガジン」の劇評に書いた。
もう、30年以上前かと思うと唖然とする。
客席の95%は、森田君のファンで、30年前には生まれつていなかった連中だろう。彼はそれなりによくやっているとは思うが、石橋蓮司には比べようもない。石橋では、台詞が全部詩だったのだから。
最初から、演出は、屋台の物売り、池と水、小人などをだして、客席を挑発する。
私は今更驚きもしないが、若い人は大騒ぎしていた。話は、腹話術師の森田が、失った人形を探すなかで会う、アパートの隣室の宮沢りえとの悲劇。彼女は、ビニ本やヌードスタジオのモデルだったのだ。
簡単に言えば、男と女の本質的なすれ違いである。たった、それだけのことをいうために、2時間はある。実に無駄と言うか、贅沢と言うべきか。
宮沢の演技は最高で、多くの者が泣いただろう。比して森田君には、台詞に詩は感じられなかったのは、無理もないだろう。
私としては、営業を無視して、やはり石橋蓮司でやって欲しかったと思う。
彼なら、 孤独な20代の青年を演じられたと思うのであるからだ。
水谷八重子(初代)は、70代で『金色夜叉』の乙女のお宮を演じ、私は見たが、処女に見えたのだから。石橋もできたと思うのだ。