リオ・オリンピックがテレビで同時中継されている。
私が記憶しているオリンピックの中継放送は、1956年のメルボルン・オリンピックの放送で、もちろんラジオで、朝早く起きて聴いた記憶がある。
1960年のローマ大会ではテレビ放送があったが、同時中継ではなく、フィルムによるもので2,3日遅れてのものだった。
テレビの同時中継が全くなかったわけではなく、ラジオの短波帯を使っての映像の放送というすごいものがあり、短距離などを見たと思う。
情報量が少ないためか、粗い映像で、なおかつ分解写真のように、ガクガクと映像が動くものだったが、担当者は大変な苦労をされて開発されたのだと思う。
その意味では、1964年の東京大会が全世界的なテレビオリンピックだったはずだが、日本のわれわれには実感のないものだった。
もっとも、テレビ中継は国内でなら、1933年、昭和8年のベルリン大会では、ドイツ国内ではテレビ中継が行われていたというのだから、ドイツの技術力はすごい。
このベルリン大会は、それまで欧米の運動好きのお金持ちのお遊び大会だったオリンピックを国家的行事にしたのは、ベルリン大会である。
聖火リレーも、この時が最初で、そのアテネからベルリンに運んだ聖火のルートは、欧州大戦では逆にベルリンからアテネにナチスドイツが侵攻したという話がある。
また、記録映画を作るようになったのも、この大会からで、レニー・リィーフェンシュタールの『民族の祭典』『美の祭典』は、記録映画の傑作である。
ただ、そこには「やらせ」もあり、日本人が銀と銅を取って二つを合わせて「友情のメダル」とした棒高跳びの最後の争いは、翌日の再現である。
ただし、これは当日は争いが遅くまで続き、夜遅くなりライトが不足して撮影できなかったので、翌日に照明器具を再度集めて撮影したもので、日米の応援団が非常に少ない変な映像になっている。
ベルリン大会では、女子平泳ぎの「前畑がんばれ!」が有名で、永井荷風の日記にも、銀座でラジオが叫んでいたことが記述されている。
荷風は、ラジオが大嫌いだったので、やや迷惑気味だが。
この「前畑がんばれ!」は歴史に残る名実況だが、これをそっくり子供が真似したSPレコードがある。
京都のショーチクという会社が出したもので、『こどもオリンピック』と題されているが、岡田則夫さんによれば、こういうのは「あやかりもの」といいレコード界には結構あるのだそうだ。