連休最終日は、例年の「とうようズ・デイ」で、小平の武蔵野美術大学まで行く。国分寺までは、桜木町から横浜線で八王子まで行き、そこから戻る。
今年は、中村とうようさんも好きで、師弟関係にあった山内雄喜さんとハイナップル・シュガー・ハワイアンバンドとサンディーの公演。
山内さんによれば、「師弟といっても私の方が師匠、ハワイアンのスラッキー・ギターをとうようさんに教え」、とうようさんは真面目にスラッキーを練習し、本の出版パーティーで披露したとのこと。
田中勝則さんによれば、その録音を持っているとのことで、いつか聞いてみたいものだと思う。
夏のビヤガーデンの親父向けの音楽と思われているハワイアンだが、戦前の灰田勝彦・晴彦兄弟から、戦後の大橋節夫、ポス宮崎、白石信、さらにマヒナ・スターズやパラダイス・キングに至るまで、ハワイアンは日本のポピュラー音楽の始りだった。
雪村いずみの父親も朝比奈愛三というハワイアンの音楽家だったが、日本のハワイアン・バンドの特徴は、比較的上流階級の子弟が多く、そのほとんどが大学のバンド出身であることだった。
その意味では、1960年代のカレッジ・フォークの先駆けだったともいえるかもしれない。
山内さんは、ビヤガーデンの親父向けの音楽ではなく、本当のハワイアンの演奏を紹介されてきた方で、今年がバンド結成の40周年とのこと。
最初は、このコレクションの創設に尽力された柏木博先生のご挨拶、ある日突然、とうようさんから電話があってこの企画は始まったそうだ。
今年、田中勝則さんのご努力で、『とうようズ・レガシ―』という総目録が出たが、後々は、ネットで音が聴けるようにもしたいとのこと。
これは、中村とうようさんと私が、このコレクションを横浜で作ろうと話していた時、強く希望されていたことでもあったのだ。
皆高齢者のバンドで、非常にレイドバックした最高の雰囲気で、天国のとうようさんも、お喜びになる素晴らしいライブだった。
そして、もちろん、とうようさんもファンだったサンディーの登場。
彼女も、本当のバックヤードから聴こえてくる音楽としてのハワイアンをやっている人が日本いもいると知り、ハワイから来たとのこと。
最後は、湯川れい子さんのご挨拶で「来年は7回忌になるので、ぜひまた会いましょう」
「ええ、もう5年になるの」という感じだった。