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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『ソウル・パワー』

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1974年秋、モハメッド・アリの世界ヘビー級選手権試合に先駆けて、ザイール(コンゴ民主共和国)の首都キンシャサで行われた大音楽イベント。

情報は聞いていたが、このようにきちんとした映像として公開されるのは、非常にうれしい。

         

3日間のイベントで、野外スタジアムに特設されるステージと客席、どれもが初めてのことだろうが、白人のリビアの投資家の資金によって可能になり、時のモブツ政権は援助はしなかったようだ。

アメリカからのミュージシャンとアフリカのミュージシャンの混合のステージ。

最初は、スピナーズで、派手な踊りが面白い。

南アフリカのミリアム・マケバ、実は彼女の「パタ・パタ」は、勝新太郎のご贔屓曲で、テレビで彼はよく歌っていたものだ。

B・B・キングなどもあるが、非常に受けているのが、セリア・クルースとファニア・オールスターズ。

それもそのはず、当時のルンバ・コンゴレス(リンガラ・ミュージック)は、元々キューバ音楽の影響を強く受けてできた音楽なのであり、カリブ海音楽と西アフリカ音楽は親和性が非常に強いのである。

街頭でのリンガラ・バンドの模様も挿入され、例によってハイ・ノートのコーラスとリフの繰り返しが心地よい。

そして、タブー・レイことフランコ、彼は当時ザイールで第一の人気のミュージシャンだった。

クルセイダーズのようなどうでもいいのも入るが、フェスティバルなので仕方ないところだろう。

フェラ・クティは、二人の女性を従えての登場し謡い踊る。

この頃は本当に元気だったのだが、彼には27人の妻がいたそうで、その性で子供は2人しかできなかったとのこと。

一夫多妻制も大変なものであると思う。

1990年代に彼の来日公演が企画されたことがある。1984年のナイジェリアのサニー・アデの公演の大成功で、次はフェラだと考えた人間がいたのだ。

このサニー・アデの来日の時の外務大臣は安倍晋太郎で、彼の理解は大きかったとのこと。

アフリカと言えば、原発の輸出しか考えない息子の安倍晋三とは大きな違いであることは言うまでもない。

最後は、もちろんジェームス・ブラウンで、彼の汗臭い、匂うがごとき音楽が大いに発散される。

この6週間後に、モハメッド・アリは、ジョージ・フォアマンから世界ヘビー級タイトルを奪うが、それにしても、アリの言動と元気さはさすがである。

横浜シネマリン

 


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