4月末に、新国立劇場で『たとえば野に咲く花のように』を見た。2007年のギリシャ悲劇三部作の再演で、出来はかなり良かった。
その旨、『ミュージック・マガジン』に書いたのだが、公演中舞台の上手にあった「蓄音機」については唖然とした。
戦後の1951年の九州のダンスホールでの話なのだが、そこに置いてあるのが「ラッパ型蓄音機」なのだ。
レコードができてから、1920年代までは、機械式録音で再生はラッパ型蓄音機によるものだった。
中には、ラッパを内部に収容した有名な美品の「クレデンサ」もあり、私も聞いたことがあるが、電気的増幅でもないのに、非常に大きくきれいな音で再生されるものだった。
しかし、1920年代に、真空管やスピーカーによる電気的増幅のアンプが発明されて、レコードの録音と再生、さらにラジオ放送や映画のトーキー化に利用されるようになった。
日本でも、昭和初期にはレコードは電気吹込みになり、国産の電気蓄音機も発売されるようになった。
だから、戦後のダンスホールにラッパ型蓄音機が置いてあるのは、非常におかしいのである。
なぜなら客寄せの意味もあり、そうした享楽施設では、最新式の物を入れるものであり、当然ここは電蓄が置かれていたはずなのである。
芸術監督の宮田慶子、演出の鈴木裕美も、みな知らないのだなと思った次第である。