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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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パパ・ウエンバ来日秘話

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コンゴ民主共和国(旧ザイール)のミュージシャンのパパ・ウエンバが15日に亡くなった。

ステージ上での急死だったそうだ。

              

 

彼は日本に何度か来ているが、その最初は1986年で、三鷹市民文化会館での公演だった。

三鷹市に市民会館がオープンした時の記念イベントの一つで、前年にはバリ島の舞踊の公演もあった。

バリ島の公演にみられるように、この時のイベントの企画の中心は、国立音大の小島美子先生で、小島先生の関係で、中村とうようさんにポピュラー音楽の公演の話が来た。

そして、ザイールのミュージシャンのパパ・ウエンバ、当時日本ではリンガラ・ミュージックと言っていたが、正確にはルンバ・コンゴレスかザイレーアン・ルンバというべきものである。

そして、企画が決まり、招聘事務になった頃、三鷹市では大騒ぎになり、「こんな誰も知らないアフリカの連中を呼んで平気なのか・・・」となったようだ。

ある日、ついに小島先生を先頭に、イベントの企画委員の先生方がミュージックマガジン社に現れたそうだ。

そして、とうようさんにいろいろ質問し、ほとんど糾弾するような応答になったそうだ。

最後は、とうようさんも切れて、「赤字になったら俺が責任をとるよ」と言って彼らは納得して帰って行ったそうだ。

1980年代の末に、ウォーマッド横浜をやるため、中村とうようさんにご協力をお願いしに行ったとき、何度か苦々しげに言われたお話である。

もちろん、パパ・ウエンバ公演は大成功になったが、そのオープニングに中村とうようさんが出てきて、

「ミュージック・フロム・アフリカ、パパ・ウエンバ・アンド・ビバラムジカ!」と紹介した理由である。


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