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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『横浜ヤンキー』 レスリー・ヘルム 明石書店

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横浜ヤンキーといっても、横浜銀蠅や本牧党のことではない。横浜の歴史を少しでも知っている者ならご存知のヘルム・ブラザーズの歴史である。

                       

私は、三代目のドナルド・ヘルム(レスリー・ヘルムの父親)さんにお会いしたことがある。

1986年の秋ごろのことで、港湾局の財産係長をしていた時のことである。

ある日、本牧地区担当の職員のところに来たのは、痩せて背の高いサングラスを掛けたカジュアルな服装の白人だった。

当時、私は英語はヒアリングはほとんどできたが、担当者たちはあまり英語ができなかったので、ちゃんと通訳を連れてきていた。

中国人のロベルト・ジー氏で、「これが買弁というのか」と私は思った。本牧には今でもジー・ブラザースという不動産屋があるはずだが、そのジー氏であろう。

要件は、「本牧の市所有の土地とヘルム山との境界査定をしたい」とのことだった。今は大きなマンションが建っている場所である。

著者のレスリー・ヘルム氏は、ヘルム一族の4代目で、1955年に横浜に生まれ高校までは日本で、大学はカルフォルニア大学、その後ジャーナリストとして日米で働き、現在は「シアトル・ビジネス」の編集長。

 

明治の開港期にドイツから来日したヘルム一族は、横浜の港湾運送事業、特にはしけで成功し、山下町や山手に不動産も所有した。

兄弟で出資して合資会社ヘルム・ブラザースを作り、昭和初期まで大いに繁栄し、子供や孫たちも横浜で育った。

だが、日中戦争以後、国家総動員法と港湾運送事業法は、外国人の港湾運送事業を禁じたので、資産をすべて不動産に変えてい時代を乗り切り、戦後も横浜で生きてきた。

だが1980年代になり、一族は横浜の他、香港、シアトルなどに散らばり、4代目にもなって互いに顔も知らないような疎遠になってので、会社を解散し保有資産を処分することになった。

そこで、当時「横浜の不動産が一番価値があるので、売却することになり、そのために境界査定が必要なのだ」とドナルド・ヘルム氏はやや寂しげに言った。

昼間だったが、少し酒が入っていたのかもしれない、やや赤い顔だった。

測量等の手続は順調に進んだと思うが、翌年に私はパシフィコ横浜に異動したので、その後のことは知らなかった。

 

この本を読むと、ドナルド氏が言ったことは、ほぼ正確だった。ただ、初代のユリウス・ヘルムは、ドイツから直接日本に来たのではなく、アメリカ、朝鮮を経由して来日したことが分かった。

また、開港期の日本には存在せず、ヘルム・ブラザースが行って大成功した、はしけ事業は、もともとドイツでやっていたものではなく、日本で始めたものだったこと。

大変に冒険心のある一族だったことを、この本で知った。

そして、ヘルム家はユダヤ系であったが、それは逆にこの一族に見られるように一つの国に拘束されず、気軽に全世界を動き廻った結果でもあった。

ユダヤ人というと、すぐにナチスドイツの迫害、虐殺とくるが、それはイギリス人にも共通した感情である。

古くからイギリス海軍は、ロイヤルダッチシェルから石油を買っていた。

だが、シェルは本質的にユダヤ系であり、チャーチル首相はユダヤ人を信用していなかったので、イギリス国営の石油会社、BPを作った。

事実、シェルは、ナチスドイツに最後まで石油を売っていたのである。

国際情勢は、このように簡単ではないが、そうしたことの一端もうかがえる好著である。

 

 


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