1955年、室生犀星の小説『性に目覚める頃』を原作とした豊田四郎監督作品で、久保明、青山京子の『潮騒』のコンビに、久保の友人に太刀川洋一である。
寺の住職志村喬の息子の久保は、父の後を継ぎ僧侶になる気はなく、文学を志していて詩を書き雑誌に投稿している。
その詩の仲間で親友なのが太刀川で、彼は茶店の娘青山京子と相思相愛の仲で、彼は久保にいろいろなことを教えてくれる。
太刀川が下宿しているのが浪花千栄子の髪結い床で、若い女が集まって花札等をしているが、そこにも久保は照れて上手く入れない。
内気で孤独な少年なのである。
久保もかわいい青山が好きだが、太刀川の恋人なので、手は出さない。
青山が、太刀川に会いにくるとき、外で口笛で『カチューシャ』の歌を吹くのが面白い。
この曲は、トルストイの『復活』の島村抱月の芸術座での劇化の中で、松井須磨子が歌い、京都のオリエントレコードで吹きこまれて発売され大ヒットした。
私も、この彼女の歌を聞いたことがあるが、今のレベルで見れば、到底レコード化できるような歌唱力ではなく、すごい下手である。
ただ、当時まで、日本では歌舞音曲をするのは、芸人や花柳界の人間等の玄人だけだった。
松井須磨子のような素人が、その歌唱を披露することはなかったので、その素人の新鮮さが受けたのではないかと思う。
その意味では、彼女はAKB48の先駆者とも言える。
彼の周囲には、寺の賽銭泥棒の女・越路吹雪が出没し、彼の性的欲望を刺激する。
大正中頃という設定なので、非常に展開がのろく、主人公たちの感情もよくわからないところがある。
最後、太刀川は結核になって死んでしまう。久保と青山は、海岸に立てられた太刀川の墓を参って終わる。
名カメラマン三浦光雄の淡い調子の画面が非常に美しいが、物語には少々無理があるように思える。
だが、よく考えると、この映画で監督の豊田が描きたかったのは、久保よりも死んでしまう太刀川洋一の方だと私は思った。
なぜなら、豊田四郎は、太刀川のように若い頃は脊髄カリエスで悩み、長く病床にいたからである。
この病床で苦悩する太刀川には、豊田自身の思いが込められているように思える。
また、この久保明と太刀川洋一の関係には、中原中也、小林秀雄、長谷川泰子の関係を持ち出すまでもなく、ややホモ・セクシュアル的な匂いがした。