先週は、「演歌・歌謡曲を応援する議員連盟」に関してコメントを求められ、いろいろと話した。
当然、その一部が出されたのだが、中で私が言いたかったことの一つは、演歌が大衆文化の一つなら、時代性があり、時には消え去ることもあるということだ。
それが大衆文化、流行というものである。
逆に言えば、流行するものだからこそ価値があり、時代の意味を反映しているのである。
よく鉄道などで、最後の何々と言って大騒ぎしてラストランの別れを惜しむ風景が放映される。
気持ちはわからないではないが、これは物事には流行り廃りがあり、文化はすべて変化し、生々流転するものであることを忘れていると思う。
この時代、いくら時代が経っても、採算がとれるならば、企業は簡単にはやめないものである。
それが、利用が減り、採算が取れなくなったとすれば、時代に合わなくなったのであり、廃止は仕方のない事である。
昔、音楽評論家で、『ミュージック・マガジン』の創立者の中村とうようさんが、「ポピュラー音楽30年説」を唱えたことがある。
多くの大衆音楽は、タンゴ、シャンソン、ハワイアン、そしてジャズなど、生まれて最盛期を迎え、そして衰退していくサイクルは、おおむね30年くらいであろう。
それは、それぞれの音楽を作り出し、受容した世代、社会階層が興隆して、そして死に、あるいは社会階層が変化してしまって、衰弱するからである。
これは音楽ではないが、1960年代にピンク映画があった。60年代中頃が最盛期で、邦画5社を揺るがすまで多数の作品が作られた。
だが、日活がロマンポルノを始め、1980年代からはアダルトビデオが出てきて、今や絶滅危惧種にまでなっている。
これも「伝統文化だから保護せよ」と言ったら、納得する人はいるのだろうか。
ものには寿命がある、というのはすべての文化にも通用するのである。