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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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『歌え!太陽』

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今回のフィルムセンターの東宝復刻特集で一番見たかったのは、実は昭和20年11月に公開された、東宝としては戦後最初の映画だった。

陸軍を除隊し砧撮影所に戻った広澤栄は、これにサード助監督でつき、次のように書いていて、私も『黒澤明の十字架』のP98に引用した。

 

  戦争が終わった。燃えたつような真夏の陽ざしの昼さがり、フィルムがプツンと切れたように突如終了した。それは白日夢のような気がした。私にとって戦争というものは小学校に入学した年からずっと存在していた。  (中略)敗戦直後の九月にクランクインした映画に私はついたが、その映画の内容は戦争とか敗戦についてみごとなほどにふれていない。焼跡にロケーションした。崩れ果てた廃墟に立った轟夕起子が鳥肌がたつような寒々しいイブニング姿でラララ・・・と歌った。その胸がむかつくしらじらしい風景が敗戦そのものの景色であった。 広澤栄『私の昭和映画史』

 

    

 だが、今日見たフィルムに焼跡で轟夕起子が歌うシーンはなかった。

 話は、ある劇場で、轟をはじめ灰田勝彦、川田晴久、そして途中から現れる榎本健一、さらに劇場の職員の高瀬實と竹久千恵子らの内幕話である。

轟と灰田の、本当は好きだがいつも喧嘩ばかりしているコンビのラブ・コメディが芯で、竹久と高瀬のいい年をした男女の対立。

そこに竹久の息子のことになってもらうエノケンのことなどが絡んでくるが、要はスターの歌と踊りを見せる映画であり、内容は広澤の言うように大したものではない。

なぜ、ロケーション撮影した焼跡の歌のシーンがないのは不思議だが、全体が劇場内のことで、空想的なので、そこに戦後の現実を入れると違和感が生まれるので、カットしたのだと思う。

監督の阿部にとっては、戦後の廃墟の姿など、見たくない風景だったのかもしれない。

なぜなら彼は、円谷英二特撮の『翼の凱歌』『南海の花束』、さらに明らかに戦意高揚の反米映画『あの旗を撃て!』を監督しており、日本の敗戦は受け入れがたいものだったからである。

本当は、その焼け跡で歌う轟夕起子の姿が見たかったのだが。

    

そして、広澤栄は、この映画を「戦争や敗戦にふれていない」と書いているが、私にはそれとなく触れているように思えた。

それは、互いに対立していた轟と灰田、竹久と高瀬實が、最後の主題歌『歌え!太陽』の合唱で、みな和解することにある。

監督の阿部豊は、戦時中に戦争に積極的に協力した映画人の一人であることは、先に書いた。  

若き日に単身渡米し、ハリウッドで俳優として映画を学び、帰国しては、ジャッキー阿部として、アメリカ的な作品を作っていた彼が、戦時中は反米映画を作っていたというのは、非常に皮肉である。

そこには渡米経験のあった近衛内閣の外務大臣松岡洋介が、「アメリカには強く臨まないとなめられる」として対米強硬姿勢を取ったような、彼らのアメリカへのコンプレックスが感じられるのだが。

だから当然彼にも戦争責任は大いにあったわけだが、そうした過去のことは水に流して、日本人は互いに和解しようというのが阿部の考えのようだ。

もちろん、これは非常に虫のよい考えであることは言うまでもない。


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