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Channel: 指田文夫の「さすらい日乗」
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荒井晴彦先生の誤解

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先日、ネットで「西部ゼミナール」見たら、荒井晴彦先生が、「黒澤明作品を1本も見ていない」と豪語していた。
それはそれで結構だが、その理由が全くの誤解に基づくものなので、笑ってしまった。
要約すれば、黒澤は強者、権力を持つ者の立場で映画を作っているので、自分は反対に敗者の立場から映画をやって来たので、黒澤を見ないこととしたと言うのだ。
これは黒澤映画に対する全くの誤解である。
少なくとも戦後の、昭和24年の『静かなる決闘』以後の黒澤映画は、戦争に彼が行かなかったことの贖罪、言い訳の映画である。
では、「『用心棒』や『椿三十郎』があるではないか」と言われるかもしれないが、これは黒澤作品というよりも菊島隆三映画である。
豪快で英雄的な男性像は、黒澤の願望であっても、黒澤の本質ではない。
彼はむしろ弱弱しいセンチメンタリストだと自分でも言ってるのである。
荒井先生には、ぜひ誤解を解いて黒澤映画のめめしさをよく味わっていただきたいと私は思う。

『新源氏物語』

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1961年、市川雷蔵の光源氏で作られた源氏物語。監督は森一生、脚本は八尋不二である。
新とついているのは、このすぐ前に長谷川一夫の主演で『源氏物語』が大映創立10周年映画として製作されているためだろう。
筋は、川口松太郎の小説に基づくもので、女同士の争い、嫉妬、欲望等が強く描かれていて、川口家の女性をめぐる争いを思わせる感もする。
言うまでもなく上層の家の出ではないが、帝(市川寿海)の寵愛を受けた桐壷(寿美花代)から生まれた源氏は、美しい男になり、モテモテ男の女性遍歴。
桐壷は死んでしまい、帝は彼女に似た藤壺(寿美二役)を寵愛するが、亡き母の面影を求め、源氏も強く愛してしまう。
要は、究極のマザー・コンプレックスであり、オイディプスだが、源氏は目を潰すことはないのが、ギリシャと日本の物語の差というべきだろうか。
女性はいろいろと面白く、東宮を産んだのに帝の愛が消えてしまいヒステリーの弘徽殿の女御の水戸光子とその兄が仙田是也で、いつもの悪役。
その息子は東の中将の川崎敬三。
源氏は、葵の上の若尾文子と結婚するが(この時代のことを結婚と言って良いのか疑問はあるが)、互いに打解けず、源氏は女性漁りに精を出す。
中では六条御息所の中田康子と末摘花の水谷好重は個性を見せ、また弘徽殿の女御の娘だが奔放で、源氏と遊びを起こす朧の君の中村玉緒が一番現代的で面白い。
最後は、その所業がばれて帝(寿海の退位の後の新帝)から注意を受けた源氏は、都を去り、明石へと向かうところでエンド。
音楽は斎藤一郎だが、ところどころで女性のアリアが入るのは、伊福部昭の作品にありよく似ていると思えたが、どの映画か思い出せない。

これも小津作品だろう

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田中絹代が日活で監督した作品で、小津安二郎と斎藤良輔の共同脚本だが、きわめて小津色が強い。
2009年に初めて見た時、私は以下のように書いた。

小津安二郎が、田中絹代監督のために書いた脚本など不愉快だったので、見ていなかったが、今回初めて見るとなかなか興味深い作品だった。
小津の作品歴で言えば、『東京物語』と『早春』の間で、この次が問題作『東京暮色』である。
この『東京暮色』の失敗で、小津は同時代、若い世代を描くのをやめ、『彼岸花』でまた元の世界に戻ってしまう。『東京暮色』は、批評家の評判も悪かったが、何より当たらなかったらしい。

話は、奈良に住む笠智衆と三人娘、山根寿子、杉葉子、北原三枝の話で、ここでも笠の妻はなくなっていて、長女山根も夫を病気で失っている。
そこに、失業して笠の家の近くの寺に間借りしている安井昌二のところに、友人の無線技師の三島耕が仕事で来たと遊びに来る。
笠は、戦前は東京の麹町にいて、鵠沼にも別荘を持っていて、そこに学生の三島、安井らがサロンのように来ていた。
北原三枝は、その頃の華やかな生活を思い出し、何とか東京に行きたいと願っている。
この辺は、微妙なところで、戦前の小津安二郎映画が、モダン都市東京を舞台としたモダニズムであったことを想起させる。
だが、笠は、そうしたモダニズムには今は興味を失い、奈良、そして関西の伝統的風土に引かれている。
北原三枝は、三島耕と杉葉子の間を取りまとめようと様々に画策するのが、映画の中心であり、電報をやり取りするあたりが、いかにも古風であるが、二人は無事結ばれる。
近代性を求め、モダニズムの象徴だった北原も、今度は自分と安井昌二のこととなると、途端に本心が言えず、もたもたするが、最後はこのカップルも結ばれて東京に行く。

さて、この北原三枝の性格だが、なかなか上手く彼女を捉えている。
小津のシナリオは、ほとんど役者へのあて書きなことがよく分かった。
先端的に見えて、実は保守的なところもある北原三枝の資質によくあった役になっている。
そう考えると、『早春』の性的に放縦な岸恵子、そして問題の『東京暮色』の自殺してしまう有馬稲子など、実に上手く役者の本質を突いてシナリオを書いているものだと改めて感心した。
有馬は、当時の日本の女優の中で最も危険な進んだ存在だったのだろう、小津は有馬を無情にも殺してしまう。
まるで、夫の笠智衆を捨てて、別の男に走った山田五十鈴に象徴される戦前の日本のモダニズムと性的不道徳が、戦後社会の混乱の根源だと言うように。

今回見直してみると、これは戦前の『戸田家の兄妹』の続編であり、失われた戦前の東京への挽歌だろうと思った。
昭和18年から東京麹町から奈良に引きこもって来た笠智衆は、3人の娘、山根壽子、杉葉子、北原三枝と暮らしている。
そして、明らかに未亡人の山根壽子と独身の杉葉子は、『東京物語』の原節子に当たると言える。
戦前に笠の家で、死んだ息子の友人の一人として鵠沼の別荘に来ていた三島耕が山根の夫の弟安井昌二のところにやって来て、杉葉子と再会する。
安井も、奈良の近くの寺で逼塞していたのである。彼や友人の増田順二は、語学の達人らしいが、戦後の波に乗れず失業している。
この没落したインテリは、『東京暮色』の原節子の夫の信欣三になると思う。
この杉葉子と三島耕を一緒にさせようと北原三枝と安井昌二が奔走するのが筋の中心である。
その手先になるのが、女中の田中絹代と小田切みきで、戦前も恋の仲介者には、女中や書生が使われたものである。
『源氏物語』で言えば、小者の惟光であり、こういう人間がいなくなった現代は恋路の成立が難しいものとなる。
さて、小津はここでも、男女の関係は本人たちよりも周囲の人間の力が必要だと言っていて、それは大変に正しいと思う。
要は、おせっかいおばさんが必要なのである。

『芸者秀駒』

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これを見ようと思ったのは、製作がニッポン・プロダクションとなっていたからで、この会社は何だと思ったからだ。
製作は山田典吾で、「ああそうか」と思った。
山田典吾は、山村聰、夏川静江らと共に現代プロを作り『村八分』『蟹工船』『真昼の暗黒』らを作ったプロデューサーで有名である。
だが、現代プロは、一応左翼独立プロの看板を揚げているので、山田としては、金儲けで映画を作るわけにはいかない。
だが、多分山田個人の会社としてニッポン・プロダクションを持っており、ここではこの映画のように一応汚職告発の作品だが、要は芸者映画であり、新東宝に売ることができたのだから。
事実、ここには芸者の生態と共に、銭湯に芸者が入浴するシーンも出てくる。

話は、造船疑獄事件のことで、造船会社の職員小笠原弘の活躍、そこに働く女子職員左幸子との愛、左幸子の父親で町場の印刷所の親父鶴丸睦彦、左の姉で芸者の利根はる恵らだが、主人公の芸者秀駒は日高澄子である。
日高は、京マチ子に似た大柄な美人だったが主役は数少ない。

                           

最後は、政治家も企業も大物は捕まらず、小物ばかりが逮捕されると言うところで終わる。
神田隆、田中筆子、小峰千代子らのいつもの左翼映画の面々だが、鶴丸の仲間で区役所の担当者に賄賂を渡す印刷業者の一人として澤村いき雄が出ているのが珍しい。
原作は菊田一夫だが、彼の『戯曲選集』にもないが、ラジオドラマだったのだろうか。菊田は無数に作品を書いているので。
阿佐ヶ谷ラピュタ

『Let's 豪徳寺』

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昔々からビデオ屋にあるなと思いつつ見ていなかった映画。
原作が漫画なので、出てくる人間はみな漫画的なのは仕方なく、脚本の斎藤博、監督の前田陽一も金儲け仕事と思ってやっているのだろうが、唯一本気でやっているのは三田寛子で、自然な明るさが作品を救っている。
話は、女子学生の三田が、同級生で大金持ちで大邸宅に住む鈴木保奈美の家にお手伝いとして働く。
そこで、不思議な3人姉妹紺野美沙子、岡安由美子、鈴木保奈美、母・岸田今日子、祖母の南美江に触れると言うものだが、どこにドラマがあるのとお聞きしたくなる。
女中が初井言栄で、この人もとっくの昔に亡くなった。

貧乏映画専門の松竹に、このような大邸宅を作る大道具はないので、セットは当時司法研修所として使用され、今は旧岩崎庭園として公開されている岩崎邸だろう。
1987年と、バブル時代なので、三田、鈴木、そして芳賀健二らの若者が、贅沢三昧をしているのが今見るとむしろ痛々しい。
松竹大船で、それなりの喜劇を作って来た前田陽一が、こんな砂利掬い映画で糊口をしのいでいたかと思うと悲しくなるが。
今や中村橋之助夫人となった三田寛子は、それなりに豪徳寺していると言うべきだろうか。
歌舞伎座に行くと、意外に高い背で驚くが、ロビーにいるのを見かけることがある。

                     

衛生劇場

『人間魚雷出撃す』

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1956年、石原裕次郎主演で作られた人間魚雷回天の秘話である。
冒頭、アメリカの軍事法廷で、潜水艦の艦長だった森雅之が参考人として証言させられている。
彼の指揮する潜水艦が撃沈したのはインデイアナポリス号で、テニアン島に原爆を運んだ後のことだったのである。
そこから森の回想で艦が江田島を離れ、太平洋に攻撃目標を求めて行く航海が描かれる。
その船には、人間魚雷の乗員が4人いて、裕次郎の他、葉山良二、長門裕之、杉幸彦である。
最初に遭遇したタンカー等への攻撃に葉山と杉は出撃し、見事撃沈させる。
次がなかなか見つからず、裕次郎と長門は焦るが、館長の森は、なるべく回天を使いたくなく、また船内の様々な人間の描写が面白い。
西村晃、浜村純、天草四郎、高品格、三島耕などと多彩。
ついに大型船団と遭遇し、駆逐艦からしきりに爆雷を落とされ、船内に水が浸水し、潜航し続けるため、酸素が不足してガスボンベから補給する始末。
裕次郎と長門の申し出を受け入れて、森は回天の出撃を決意し、見事大型巡洋艦を撃沈させて任務を終わって帰島する。
最後、森雅之は思う。
二度と、太平洋に若き血潮が流されないことを望むと。
監督・脚本の古川卓己は、あの有名な『太陽の季節』を監督した方だが、どうにも人に合っていなかったようで、おずおずと不良学生映画を撮っているという感じだった。
その後も、アクション映画が多かったと思うが、さして印象に残る作品はない。
要は、まじめで大映的な、重厚な作風の監督だったのだと思うが、これは非常に良かった。
経歴を見ると、やはり兵役についている。元特攻隊の西村晃をはじめ、皆戦争を体験しているので、非常にリアリティがある。
安倍晋三君にも見せたい映画の一つである。

「お前は黒澤明が好きなのか」

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2013年に『黒澤明の十字架』(現代企画室)を出して以来、必ず聞かれるのが、「お前は黒澤明が好きなのか」という質問である。
私は、荒井晴彦先生のように、昔は彼が嫌いだった。
だが、この本を書く中でかなり好きになったのは事実である。
溝口健二ほどではないが、かなり好きになったことは次の記述でわかるに違いない。


  最後に、黒澤明を主に戦争とのわりでたどってきてあらためて感じるのは、彼がいかに誠実で、
 自己に厳しい、責任感の強い人間だったか、ということである。そこには、黒澤天皇はいない。
 きわめて繊細で、傷つきやすい、孤独な作家がいる。私はそのことにあらためて感動したことを
 書いておきたい。
  黒澤明は、近代以降の日本と日本人が、最大の歴史的事件として体験した太平洋戦争を、内面
 化し、映画化した多分唯一の映画作家である。その映画は『平家物語』のごとく、国民的記録と
 して永遠に残るに違いない。

これを回答にしたい。

「ああ、これはドストエフスキーか」 東千代之介2本

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フィルムセンターで、東千代之介映画を2本見る。
中村錦之助、さらに中村賀津雄と共演の『暴れん坊兄弟』と『嫁さがし千両勝負』である。
前者は山本周五郎原作で、藩主中村錦之助の命令で江戸から藩に派遣されたのが東千代之介と賀津雄の兄弟。
この兄弟は性格が対照的で、兄は昼行燈と言われるのんびりとした全くの善人、弟は何をやっても粗忽で、慌て者。
藩では、いつもの山形勲の城代家老、沢村宗之介らが、御用林を勝手に伐採して、商人に横流ししていて儲けている。
それを人を疑わない東千代之介に感銘を受けた山形らの手下の御用方の田中春男が、関係書類を兄弟に残して死に、それを証拠に兄弟は藩政の不正を匡すことができる。
「カメラが突進する」と言われた澤島忠なので、画面と人物の躍動感が凄い。
だが、この善人は、ドストエフスキーの『白痴』の主人公のムイシュキン公爵だろう。
山本周五郎の好みがよく分かる。
田中春男の10人の子供の長男として住田知仁が出ているが、言うまでもなく風間杜夫である。

次の同じく千代之介主演の『嫁さがし千両勝負』も、この千代之介のキャラクターを生かした話になっていて、ここでは潮来から出て来た善人の武士になっている。
女スリの青山京子、商家の娘で桜町弘子らが出て、北町奉行所の同心が近衛十四郎で、例によって例のごとく悪徳商人らが退治されて無事にエンドマーク。
この翌週に全く同じスタッフ、キャストで『恋しぐれ千両勝負』があるので、この後篇になるのだろう。
脚本は結束信二で、監督はやくざ映画時代でも多数の作品を撮った小沢茂弘だが、結構丁寧に作っていて感心した。
青山京子は、東宝から松竹に行き、東映でも結構時代劇に出ていたが、いまいちだったようだ。
彼女は、調布高校という「お嬢様学校」の出で、芸能界には合わなかったようで、小林旭と結婚して家庭に入ったのは、まことに賢明な選択だったと思う。
フィルムセンター

昔の芸人の凄さ SP講談20世紀の大衆芸能第26回「寄席の音曲」 岡田則夫

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高円寺の円盤で隔月ごとに行われている、岡田則夫さんの秘蔵SPを聴くイベント、今回はほとんど聞いたことのない物ばかりなので、フィルムセンターの映画の後に地下鉄で向かう。
普通は、銀座線で渋谷に出て、山手、総武線と乗り換えるのだが、地下鉄でも赤坂見附で丸ノ内線に乗り換えれば新高円寺に行けるので、それで行く。
新高円寺から総武線脇の円盤にまでは、結構な距離があった。
だが、古本屋や古道具屋、古着屋などが沢山あり、非常に面白かった。東京に住むなら、このあたりが最高だと思う。
昨日の曲目は以下の通りだが、この昔の芸人の技は本当に凄い。
一口に言えば、非常にリズム感があり、躍動的なのである。
その理由は、この日掛けられたのは、レコードなので、きちんとした場での吹き込みだが、通常は寄席や四畳半などの座敷、時には街頭などで
観客の前でやっていた音曲である。
だから、踊りや動作、身振り手振りも伴なっっていたはずなので、リズム感があるのだと思う。
昔は、多くの芸人、落語家も踊りや三味線、歌もできたもので、そうでなければ芸人とされなかったのである。
その意味で、立川談志が、立川流の入門の条件の一つに歌舞音曲ができること、と入れたのは正しいのである。

『寄席の音曲のSPレコード』 /平成27年2月6日(金)・高円寺「円盤」

1 ハイカラ節 橘家三好 日蓄(ユニバーサル) 1087 明治末
2 たぬき/追分東家小満之助 米国ビクター11072 明治末
3 義太夫入さのさ・礒節 立花家喬之助 日蓄(アメリカン) 2459 明治末
4 名所節 春風亭楓枝 日蓄(ローヤル) 1090 明治末
5 千両幟 柳家柴朝 日蓄(アメリカン) 2103 明治末
6 ラッパ甚句 文の家かしく 米国ビクター50036A 大5年
7 靭猿    柳家小さん③・柳家小まん 米国ビクター50043B 大5年
8 千両幟(上・下) 宝集家金之助 ニットー 2124AB 大12年7月
9 売名を忘れ 富士松銀蝶 パーロホン E1102A 昭4年
10 のほほん節 千葉琴月 オリエント4673B 昭4年6月
11 秋の夜 柳家金語(古今亭志ん好) ポリドール122A 昭5年
12 神田祭,大津絵,山王祭立花家橘之助 オデオンU2211B 昭6年3月
13 酒の座 文乃家かしく② ビクター・ジュニア J10236 昭10年2
14 寄席囃子 柳家つばめ④ ポリドール8122B 昭11年
15 とめてもかへる 柳家雪江 テレフンケン30B 昭11年頃
16 大津絵(股旅もの) 吾妻家駒之助 ビクター・ジュニア J10374A 昭11年5月
17 さのさ節(声色入) 柳家小半治  ミリオン 6003B 昭12年
18 トッチリトン 三遊亭圓若② コロナC5215B 昭12年
19 一号まいた(さぬき盆唄) 桧山さくらキング C5275 昭30年
20 御座付、三下がり、さわぎ 西川たつ ビクターV40693 昭和26年

この中で、私が前に聞いたことがあったのは、立花屋橘之助、桂小判治、西川たつくらいで、後は初めてその名を聞き、音曲も聞いた連中であるが、皆一流のものばかり。
9番目の「売名を忘れ(ばいめいではなく、うりなを忘れである)あたりから電気吹き込みになり、音も格段に良くなる。
それ以前の、明治、大正時代は、ラッパに向かって直接歌い、演奏する器械吹き込みの時代である。
この中で面白かったのは、16の吾妻家駒之助のB面の「道中づけ」で、これは東京から新橋、品川、川崎と東海道線を順に言っていくもので、昭和11年の録音なのに、国府津から先が、山北、御殿場と御殿場線廻りになっていた。
すでに昭和9年に東海道線は、丹那トンネルができて、御殿場線ルートではなくなっていたのに、無視しているのが昔の芸人と言うべきだろう。
桂小判治の17は、いつ聞いても軽くて洒脱な芸を感じる。
こういう無理やり押付けるところのない芸が、江戸前の芸であり、関西のどぎつい芸との違いだろう。
これを聴いていて思い出したのが、小津安二郎が大映で中村鴈次郎を主役で監督した旅芸人の話の『浮草』である。
最後は、時代の推移で劇団が立ち至らくなり、解散してしまう旅芸人たち。
明日をも知らぬ身でありながら、能天気に行くままに身をまかせて生きている姿。
そこには当然預金も健康保険も年金もない世界だ。
だが、そのおおらかな自由さは、恐らく1960年代以降の日本映画の世界では、『男はつらいよ』の寅さんだけが演じられた役である。
我々が、経済の高度成長の陰で失ったものは結構大きいのだと改めて思った一夜だった。
岡田さん、ありがとう。

『やくざ戦争 日本の首領』

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1970年代にアメリカ映画で暗黒物がヒットしたことに便乗して、日本のドン山口組を題材に描いた1977年の東映の大作。
ドンは佐倉組組長の佐分利信、その直属の部下が鶴田浩二の辰巳、その妻は市原悦子、佐分利の妻も青年座の東恵美子で、佐分利との間の娘は文学座の二宮さよ子。
彼女と結婚する医者はやはり文学座の高橋悦史と新劇人が総出演である。
話は、大阪の繊維会社の社長高橋昌也が、クラブの女と寝てしまい、そのもみ消しを会社役員で裏専門の西村晃が依頼したことから会社と裏社会との付き合いが始まる。
そこに、民政党副総裁神田隆、右翼のボス内田朝雄らも顔を出す。
だが、なんといっても爆笑ものなのは、幹部のインテリヤクザの成田三喜夫と武闘派の単純ヤクザ千葉真一である。
また、例によって悪乗りで演技する、田中彰治議員を思わせる金子信夫も大いに笑わせてくれる。
途中から、筋は山口組に対抗する関東の稲川会を思わせる錦城会の菅原文太との対立、高橋昌也や西村晃らの裏切りになっていく。

最後、警察の圧力で、組は次々と解散し、鶴田も解散しようとするが、佐分利は許さず、高橋の注射で鶴田は急死してしまう。
鶴田の死因を聞く佐分利に高橋は答える。
「私も、佐倉ファミリーの一員ですよ」
企画に田岡満が入っていて、このシリーズは『野望編』『完結編』と続くことになる。

音楽は黛敏郎と伊部晴美なので、オーケストラの曲は黛で、ギター弾きの女と火野正平の件があるが、その辺が伊部なのだろう。
こういう大作は、豪華に役者が出てこないと面白くないが、この中の連中でも、鶴田と佐分利、高橋昌也、西村晃は勿論のこと、さして高齢ではないのに高橋悦史の他、地井武男、成田三喜夫もすでに亡くなっているが、女優では東恵美子も数年前に亡くなられている。
BS=TBS

『基礎訓練』

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アメリカのドキュメンタリー作家フレデリック・ワイズマンの1971年の作品。
基礎訓練とは、陸軍の志願兵に対して施す90日間の訓練である。
行進から始まり、格闘、銃器の使い方、実際の模擬戦闘訓練などで、一人の兵士に仕立て上げていく。
ベトナム戦争の末期なので、対ベトコン戦用の森林や藁葺き小屋等への模擬戦闘もある。
ワイズマンの作品は、初めてだが、ナレーションや字幕はなく、淡々と映像だけをつないでいくスタイル。
このワイズマン特集のみ、入れ替え制なので、1本見て帰ることにすると、雨は上がっていた。
シネマ・ヴェーラ渋谷

永井荷風の偉さを新たに思う

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例のシリアで「イスラム国」に捕えられた後藤健二さんの問題について、「安倍政権の政策について云々するのは良くない、国民は一致して事態をも守るべきだ」との言説があった。
だが、後藤氏は、殺害されてしまった。これは日本で、政府を批判するような言論があった性だろうか。
勿論、全く関係のないことである。

こうした日本の政治の状況を見ると思いだすのは、永井荷風の日記の『断腸亭日乗』の凄さである。
そこには、東條内閣をはじめ、政府、軍部への呪詛のごとき批判で満ちみちている。
今とは比較にならないほど言論の自由はなく、憲兵などの取り締まりもあった当時に、あのように自由な言説を書くのは、本当に勇気のあることだったと思う。
当時、軍国主義体制に背を向けていた文学者は、本当に少数で永井荷風の他、谷崎潤一郎くらいだったのだから。
新進の英文学者だった伊藤整ですら、1941年12月8日以降の真珠湾攻撃とマレー沖海戦の勝利には、快哉を叫んだくらいなのだから。


さて、一人孤独に生活し、老人のように生きた荷風だが、実際は非常に元気だったようだ。
上の写真を見ても、他の人々に比べて大変に背が高くて颯爽としている。
断腸亭日乗の孤独な老人ぶりも、ある意味で彼の演技だったとも言える。

花井蘭子2本 『花ちりぬ』『幸福はあの星の下に』

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花井蘭子は、前から好きな女優で、日本的な楚々とした美人だが、今はこういう感じの女優も女性も少なくなったと思う。


「姿三四郎」のお澄

阿佐ヶ谷ラピュタに頑張って彼女の映画を2本見た。
1938年の石田民三監督の『花ちりぬ』で、脚本は『女の一生』の森本薫で、30代の時にシナリオを読み、よくできた脚本だと感心していたが、実際に見たのは初めて。
元治元年7月の京都祇園のお茶屋で起こるドラマで、幕末の禁門の変になるときの劇で、勤王佐幕の衝突もあるが、男は一人も出ず、女優ばかりの劇と言う構成がまず驚く。
街頭での斬り合いや激闘は音だけで表現されている。
女優だけのドラマと言う点では、後に三島由紀夫が書いた名作『サド侯爵夫人』にも影響しているのかもしれない。
お茶屋の娘は花井蘭子で、長州藩の男と恋に落ちているらしいが、それも禁門の変でどうなるのか、と言うところで終わる。
この外部では戦争が起きているが、祇園では何も知らずに右往左往し、最後は大砲の音に驚いて逃げ出そうとしている、この女性たちは、まるで当時の日本人の姿をアナロジーしているのかもしれない。
この年の前年には、山中貞雄は『人情紙風船』を作って中国への戦争に出征し、この『花ちりぬ』が公開された1938年の2か月後の8月には病死してしまったのだ。2本の作品はよく似ていると思う。
花井蘭子の他、若い芸者としての堀越節子しかわからなかったので、細かい女性たちの葛藤はよく分からなかったが、名作であることは間違いないだろう。

もう1本の1956年の『幸福はあの星の下に』は、まったく映画史にも出ていない作品だが、実に面白くて笑いどうしだった。
主役は新橋の芸者の木暮実千代と同じく新橋あたりで喫茶店をやっている上原兼、花井蘭子は、元は木暮の朋輩の芸者だったが、今は年下の画家伊豆肇と結婚していて役で、全体の狂言回しを務めている。
花井は美人女優として、いつも口数の少ない役が多いが、ここでは喜劇的なやり取りが非常に上手い。
さらに木暮の家のばあやが、三好栄子で、貫録たっぷりなので笑える。
脚本は、戦前から劇作家としての作品も多い八田尚之で、この人はどちらか言えば左翼的な人だが、ここでは花街の人間を上手く描いているのは、さすが。
上原と妻東郷晴子との子供が高校生の久保明だが、本当は芸者の木暮が上原との間に作った子なのであり、その意味では「母物」だが、大映のようにじめじめしていないのは、東宝のセンスだろう。
東郷晴子が純情な女性を演じているので、少々おかしな気がしてしまう。東郷晴子というと、テレビドラマの『女の斜塔』での悪役を思い出してしまうからだ。
東郷は病弱で、ついに死んでしまい、すべてを知っている東郷は、遺言で上原に木暮と晴れて再婚してくれと言い残す。
だが、息子の久保は、「芸者は社会の害虫だ」と純真に思いこんでいるので、上原と木暮は諦めてそれぞれの生活に戻ることにする。
監督は杉江敏男で、ひばり・チエミ・いずみの三人娘映画などが多く娯楽映画の人と思われているが、彼はヒチコックに憧れて監督になったそうで、画面もカッティングも非常に的確で上手い。
音楽は早坂文雄と佐藤勝となっていたが、恐らく早坂の体が悪くて、かなり佐藤が手伝ったのだと思う。
芸者の見習い子として岡田茉利子が出ているが、元大臣の十朱久雄からの水揚げを断って故郷の秋田に戻る。
まあ、この時代では、久保と言い岡田と言い、芸者を若者が肯定するドラマはできなかったのだろう。

やはり、言霊(ことだま)の国

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テレビでワイドショーを見ていたら、子供の奇妙な名前のことを特集していたが、ほとんどが笑ってしまうキラキラ・ネームばかり。
中では「今鹿」が最高だったが、ナウシカと読むそうだ。昔、寺山修司の天井桟敷に、支那虎という役者がいたのを思い出した。
こういう珍妙な子供の名前については、大きくなってから大変だろうとは思うが、まあ本当に嫌なら改名することもできる。
名前に思いを込めると言うのは、まさに言霊信仰である。
昔、日本は神の国と言ったおかしな首相がいたが、日本が言霊の国であることは今も間違いないようだ。
こんなことは、欧米にはないが、中国では今でも親が子への思いを込めた名前をつけると聞いたことがある。
だが、中国では名前は、日本のように二字ではなく大抵は一字なので、日本のような奇妙な名前にはならないようだ。

『生きてはみたけれど』

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小津安二郎伝とサブタイトルされた作品で、監督は小津の助監督だったこともある井上和男。
多くの俳優、スタッフさらに関係者へのインタビューでできている。
1983年の映画なので、小津安二郎研究がまだ進んでいなかった頃なので、不十分な面はある。
井上は、小津の墓標の文字の「無」に小津の本質を見ているようだが、それは違うと私は思う。
むしろ、戦後『晩春』以降、なぜ小津は延々と女性主人公を結婚させる話を作り続けたのかをよく考えるべきなのだ。



それは、文化人類学的に言えば、普通の人間にとって結婚は、女性の交換を通じて社会を形成することだからである。
それこそは、人生最大のドラマであり、だからこれを描けば時代と社会のすべてが描けると戦後の小津は思い至ったのだろうと思える。
彼の戦時中の2回の従軍、中国での毒ガス部隊への従軍、南アジアでの戦意高揚映画製作のために訪れたシンガポールに行き、そのまま敗戦を迎えて、米映画を多数見た2回目の従軍。
この二つの海外から日本を見た経験は、小津にとって非常に大きなものだったと思う。

関係者の証言では、淡島千景の「小津先生は、人形浄瑠璃の人形遣いで、役者は先生の手で動く人形だが、そこに心がこもっていないといけない」
中村伸郎の「台詞の上げ下げ、アクセントの一つ一つに厳しくて・・」
さらに、佐藤忠男の「『風の中の牝鶏』を見た時に、不貞を行った妻と戦場から戻った夫も戦地で人を殺していて、妻を一方的に責められない」と言うのがさすがだった。
横浜市中央図書館AV]コーナー

真鍋理一郎、死去

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作曲家で、映画音楽も多数書かれた真鍋理一郎氏が亡くなった、90歳。
真鍋理一郎というと、すぐに大島渚の作品の、と来るが、彼は結構様々な作品の音楽を書いている。
川島雄三の『洲崎パラダイス』などは普通の方だが、東宝の『ゴジラ対へドラ』などはかなり変わった作品だろう。
だが、もっとすごいのは、日活の神代辰巳監督のデビュー作『かぶりつき人生』のボサ・ノヴァ風の音楽である。
この映画は、ともかく分からない映画で、公開時以後ずっと見ていなかったが、数年前に見て、「すごく新しい映画だったな」と思った。
ボサ・ノヴァ風の主題歌は、恐らく主演の殿岡ハツエの歌唱だと思うが、彼女は日劇ミュージック・ホールのダンサーだったが、テレビにもよく出ていた歌も歌っていたと思う。


この映画の併映は、磯見忠彦監督の『ネオン太平記』で、これは大阪のアル・サロの話で関西弁、『かぶりつき人生』も関西弁で、どちらもモノクロで、冴えないなと思ったが、当時日活最低の成績だったらしい。
数年前に、大島渚の松竹時代のことを再現した記録映画があり、その中で、真鍋理一郎氏も出てきて、小田原の古い日本家屋に一人で住んでいて、「あれっ」と思ったものだが。
彼は確か、
イスラム教徒だったはずで、どのように弔ったのだろうか気になるところだが。
日本映画界に多大な貢献をされた方のご冥福をお祈りしたい。

全中について

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全国の農協の総元締めである全中が「改革」されるそうだ。
ご苦労様なことであるが、自民党にとって本当に良いのかはよくわからない。
小泉内閣が、「郵政改革」で成功したように、安倍内閣は農協改革で、国民の支持を得ようとしているように見える。
だが、そう行くのだろうか。
郵便局は全国民に関係があるが、農協は、今やほとんどの国民にとって無縁だからである。
この問題は、内閣官房長官の菅義偉氏の悲願なのだという説もあり、いよいよ安倍晋三は、菅長官の操り人形化しつつあるように見える。
「戦後70年問題」など、野党から批判されそうな課題よりも、あまり国民に関係のない問題で点を稼いで、マスコミ等の支持を受けようと言う方針なのだろうか。

さて、ほとんどの国民にとって無縁な農協と書いたが、実は私には縁がある。
亡くなってしまったが、私の二番目の姉の夫、つまり義兄が全国農協中央会、現在の全中の固有職員だったのだ。
非常にまじめな方だったが、北海道の生まれのせいか、大変にお酒の好きな人で、言ってみれば酒豪だった。
北海道の虻田郡、洞爺湖の近くの村に生まれ、多分幼いころはかなり苦労されたと思うが、北海道大学農学部に進学された。
その村で最初に大学に入った人だったそうだが、彼の甥も、函館ラサールから東大法学部を出て検事になったのだから、優秀な家系だったのだろう。
大学時代は、当時のことで当然にも学生運動もやったようで、北海道では就職できず、東京に来て農協中央会に就職された。
農協中央会では、順調に出世し、固有職員としては最高の地位にまで上られて、定年退職で、全国厚生連に再就職された。
この厚生連というのも、都会の人は知らないだろうが、農協が運営する病院連合で、赤十字、済生会、厚生年金病院などと並び、全国の病院連合としては最大規模の一つである。
だが、そこに「天下り」してから最初の正月休み明けの朝、1月の雨の朝、職場への出勤途中で倒れて亡くなられた。
心筋梗塞だった。
もともと酒とタバコを常習し、血圧も高く、しかも太っていたので、「生活習慣病」の当然の結果ではあった。
姉によれば、「自分の体は丈夫」と思い込んでいたので、ろくに生活習慣病への対処もしていなかったとのこと。

自宅のある東武野田線豊春駅の手前で倒れ、近くの店の方が気づいてすぐに救急車を呼んでくれたそうだが、即死に近い状態だったようだ。
そのために元々胸板が非常に厚かったが、葬式の最後で棺桶に入れる時、その胸が盛り上がっていて、なかなか棺に入りきらず、葬儀社の人が胸の肉を押してやっと入ったことを今でもよく憶えている。
要は、まったく健康な状態で亡くなられたので、肉体は壮健な状態だったわけだった。
長期に療養された方の場合などは、肉が落ちて、棺桶にスカスカの状態に納まってしまうこともあるのとは正反対だった。
葬式は、豊春の自宅で行われ、勿論私も行ったが、普通の市民としてはかなり盛大なもので、近所の方は非常に驚いたそうだ。
中には、農林大臣だった羽田攻からの花輪もあった。
2人の息子たちも、もうすでに大学を出て就職しており、姉は楽しく日々を過ごしているようだ。
義兄の死も、平成7年のことだから、すでに20年前のことになる。
今回の「改革」を義兄は、どのように見ているのだろうかと思う。

大竹富江、死去

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在ブラジルの女性美術家大竹富江さんが亡くなられた、101歳。
彼女は、京都に生まれてブラジルに移住した後、画家として活動された。
私は、この分野には詳しくないが、以前ポルトガル語を習っている時、先生から大竹さんの作品集を見せられて驚いたことがある。
日本では、ブラジルの美術が話題になることはないが、世界的なレベルであるようだ。
ブラジルの美術、建築などは非常に大したものであるとのことである。
101歳とは、それだけですごいが、ご冥福をお祈りする。

「見え透いた筋書きだな!」  『天下の若君漫遊記』

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前編と後編の2部作の最後で、主人公の明智三郎が、悪人の石黒達也にいう台詞だが、映画全体が「まことに見え透いた筋書き」のオンパレード。
1955年、日活で公開された時代劇だが、富士映画の製作になっている。
富士映画とは、元は東京発声映画のあったスタジオを本拠にした新東宝の傍系会社で、世田谷区桜で娯楽映画を作っていた。
ここは後に大蔵映画になってピンク映画の聖地にもなったが、今はオークランドになっている。

話は、徳川家のご落胤と言われる「松平長七郎」の漫遊もので、民俗学的に言えば貴種流離譚である。
浪人の千秋実と共に諸国を漫遊し、田舎のヤクザ(親分は分からないが、一の子分は安倍徹)を懲らしめ、お千代の高友子と共に失踪した花火師の父を捜しに高倉藩に行く。
花火師と言うとすぐに想像がつくだろうが、そこでは島原の乱の残党の切支丹や、藩の重鎮で悪人の石黒達也、永田靖らが徳川への反乱を起こすため、農民らを使って爆弾を密かに製造している。
大きな回り舞台のような回転する台を農民が取りついて人力で動かし、木製の歯車で動力として伝えて爆弾を製造しているらしい。

藩主は市川男女之介だが病弱のため、側室の宮城千賀子と怪しげな妖術師三島雅夫の言いなりになっている。
三島や石黒、永田らの悪人振りの怪演が笑えるが、一番すごかったのは、明智と高、千秋らが高倉藩に入ろうとすると関所ができている。
すると、わずか10メートルくらいの脇に間道があり、そこから3人は抜けてしまうのだ!
ともかく「この程度の内容で映画館で上映していたの」と言う程度の作品だが、さすが監督は『狐がくれた赤ん坊』の丸根賛太郎なので、明智と千秋のやり取りなどは、とぼけていて結構面白い。



直後に新東宝時代劇のスター明智十三郎となる明智だが、とぼけた味があって、そう悪くない。
撮影が岡崎宏三で、画面は美しく、撮影助手が黒田清巳というのが興味深い。
要は、この映画等は、日活の製作再開で、駄目になった左翼独立プロ映画のスタッフの救済策でもあったのだろう。
また、製作が今村貞雄で、製作主任が関孝二なのも注目される。
今村貞雄は、目黒にあったラジオ映画スタジオの代表者であり、関孝二は、1960年代以降は、ピンク映画界で活躍されるからだ。
因みに主演女優の高友子は、製作の富士映画の役員の大蔵満彦氏と結婚される。
衛生劇場

『0.5ミリ』

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上映時間3時間というので、敬遠してきたが、長さの割には私は退屈しなかった。前の方で寝ている方もおられたが。
話は、介護ヘルパーとして働き始めた主人公の安藤サクラが、介護している老人の娘木内みどりの願いを聞き、痴呆症の織本順吉と同衾したところ、織本が体を重ねて来てしまう。
サクラが、押し返すと、その反動で織本の体が電気のコンセントを潰してしまって発火して火事になり、家は燃え、織本も死んでしまう。
犯罪は免れるが、無職になったサクラは、ヘルパーの経験を生かして様々な高齢者家族の家に入って行く、押しかけヘルパーとして。



全体は、日本を覆う格差社会の見取り図であり、安倍晋三や小泉純一郎、竹中平蔵に見せたい映画である。
一人暮らしの貧乏人のくせにいすゞの117クペーを持っていて、本人が同意して施設に入所する際に、117クーペを呉れる坂田利夫の話が一番面白い。
自分が未だに現役の先生だと思いこんでいる津川雅彦と完全に痴呆症になり歌曲を歌うことだけになっている草笛光子の夫婦もよくできているが、役者が上手すぎて少々嘘くさく見えるところがある。
最後に出てくる、最初の織本順吉の息子で造船所の工員の柄本明と引きこもりで口のきけない息子の件になると、これはほとんど狂気の世界である。
最後、安藤サクラは、できの悪い息子と結婚することを暗示して終わるが、それが幸福である保証はどこにもない。
だが、考えてみれば、『晩春』や『秋刀魚の味』で、小津安二郎が、主人公で娘を嫁に出した父親の孤独、淋しさを表現した頃はまだよかった。
今、もし笠智衆が生きていれば痴呆化し、いない妻を求めて妄想に耽るしかないだろう。
人間は、いろいろあるだろうが、結局は結婚して子を作り育て、そして死んでゆくしかないのだろうか。
文化人人類学は、人間は結婚によってのみ社会を作ると教えているそうだ。
それはまさに吉本隆明がかつて言った「個として死に、類として生きる」ということに他ならないのだろう。
黄金町シネマベティ
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