1960年、松竹大船のヌーベルバークに応じて、京都でも出たヌーベルバーク的時代劇。監督の森川英太郎は、高校時代に大島渚の同級生だったこともあり、大島自身がヌーベルバークの機運の中で、監督になったと言っているが、確かに観念的なところはよく似ている。
江戸時代のことで、主君が亡くなった時、殉死が讃えられていた時代のこととのタイトルが出る。
若君が亡くなり、家老の渡辺文雄は、殉死を出すことに決め、本当は誰でも良かったのだが、それを榊原伊織という美少年の山下旬一郎にする。
彼の義理の兄は、下級武士の森美樹で、その妻は高千穂ひずるで、山下の実の姉である。
殉死の日の前に、墓参りで家に戻って来た時、高千穂は思う。
青い蕾のままに死ぬのは、あまりに可哀そうと。そして、森美樹のいぬ間に、山下と祝言を上げ、床入りを促す。
「それは許されぬ」と海に飛び込み、体を冷やした山下旬一郎だが、砂浜に来た高千穂が裸になると、思わず抱いてしまう。
そして、白州に切腹のために坐らせられた白装束の山下、介抱役は自ら買って森美樹が後ろに控えて立っている。
紙で巻いた白鞘を手に山下が持ち、あわや腹に突き刺すと言うとき、江戸から使者が来る。
「殉死はまかりならぬ」との上意。
がっくりと気が抜ける森と山下。
だが、渡辺は手下に命じる。山下を捕まえて必ず殺せ、殉死させるなと。ところが、山下は捕縛から逃げてしまう。
そして、高千穂と契った砂浜に来る。森も追って来て山下を斬り、高千穂も自死し、森も斬られてしまう。
実にご苦労様なお話であるが、もともと殉死は、封建制の非人間性の典型として『阿部一族』などの名作があるが、1960年代では少々時代遅れに見える。
監督の森川英太郎は、大島渚の創造社に参加したが、後に電通に行き、最後は大学の先生になったそうだ。
田村孟と共に脚本を書いていたこともあり、日活の『人間に賭けるな』や『狼の王子』などは、結構良い作品だったと思う。
その意味では、穏健な常識家で、監督としての強い個性には欠けていたように思える。
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