世界中の名作『東京物語』で、一番重要なのは、戦死した二男の未亡人原節子の紀子だろう。
尾道から上京した笠智衆、東山千枝子夫妻に一番良くしてくれたのは紀子だと褒めたたえられて映画は終わる。
だが、本当に紀子さんは良い人なのだろうか。
そのことを私に最初に教えてくれたのは、大学の先輩のYさんであった。
「原節子には愛人がいるのではないか、そういう風に見える」と。
このことは脚本家荒井晴彦も、MXテレビの西部先生の番組の中でご指摘されていた。
それは小津安二郎版ではなく、テレビでのリメーク版を見て気づいたというのだ。
そこでは現在に変えられていて、紀子の松たか子の夫は、アフリカで死んで、その後一人で生きている。
だが、こんな良い女が一人でいて、周囲の男が黙っているか、と荒井先生は言っていた。
「絶対に誰かが手を出しているはずだ」と。
私もそう思う。
その証拠に、小津は『東京物語』の次の作品『早春』で、主人公池部良の戦友たちとの宴会で、死んだ戦友の妻の話としてある挿話を描いている。
それは、非常に臆病だった兵隊のことで、遺族の家に行ったら妻は、勇敢な兵だと信じていたとある男が言い、かあちゃんはありがたいよなと付け加える。
すると別の男が、その女に会い、新しい男と一緒で、口紅を真っ赤にしていたというのだ。
二度も戦場に行った小津ならではの見方だと思う。
死んだ人間はもちろんかわいそうだが、生き残った方にも人生はあるのだから。
注意深く、義母東山千栄子と原節子の台詞のやり取りを読むと、原節子は一度の自分は今どういう状態なのか言っていない。
ただ、もう結婚はせず、「このままの状態で良いと決めている」と言っているだけである。
これはよく考えれば、有夫もしくは小津のような独身の男性と何か関係を持っていると言っているとも読むこともできる。
事実、原節子が演じた紀子のモデルになったと言われる、大船でアコーディオンを弾いていた村上茂子さんは、戦争未亡人で、当時は小津安二郎の愛人だったのだからである。
少々卑俗な言い方をすれば、監督自身が、紀子の「貞操」を奪っていたのだ。
尾道から上京した笠智衆、東山千枝子夫妻に一番良くしてくれたのは紀子だと褒めたたえられて映画は終わる。
だが、本当に紀子さんは良い人なのだろうか。
そのことを私に最初に教えてくれたのは、大学の先輩のYさんであった。
「原節子には愛人がいるのではないか、そういう風に見える」と。
このことは脚本家荒井晴彦も、MXテレビの西部先生の番組の中でご指摘されていた。
それは小津安二郎版ではなく、テレビでのリメーク版を見て気づいたというのだ。
そこでは現在に変えられていて、紀子の松たか子の夫は、アフリカで死んで、その後一人で生きている。
だが、こんな良い女が一人でいて、周囲の男が黙っているか、と荒井先生は言っていた。
「絶対に誰かが手を出しているはずだ」と。
私もそう思う。
その証拠に、小津は『東京物語』の次の作品『早春』で、主人公池部良の戦友たちとの宴会で、死んだ戦友の妻の話としてある挿話を描いている。
それは、非常に臆病だった兵隊のことで、遺族の家に行ったら妻は、勇敢な兵だと信じていたとある男が言い、かあちゃんはありがたいよなと付け加える。
すると別の男が、その女に会い、新しい男と一緒で、口紅を真っ赤にしていたというのだ。
二度も戦場に行った小津ならではの見方だと思う。
死んだ人間はもちろんかわいそうだが、生き残った方にも人生はあるのだから。
注意深く、義母東山千栄子と原節子の台詞のやり取りを読むと、原節子は一度の自分は今どういう状態なのか言っていない。
ただ、もう結婚はせず、「このままの状態で良いと決めている」と言っているだけである。
これはよく考えれば、有夫もしくは小津のような独身の男性と何か関係を持っていると言っているとも読むこともできる。
事実、原節子が演じた紀子のモデルになったと言われる、大船でアコーディオンを弾いていた村上茂子さんは、戦争未亡人で、当時は小津安二郎の愛人だったのだからである。
少々卑俗な言い方をすれば、監督自身が、紀子の「貞操」を奪っていたのだ。